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劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編を見てきた感想【ネタバレあり】

劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編を公開初日に見てきました

 

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アニメの勢いそのままにたくさん人がいて驚きました

ジャンプで1話目を読んだ時から大好きな作品ですが、アニメ化前までは「好きな人は好きだよね」って位置の作品だったので、ここまでブームになるとは思ってもいなかったというのが正直なところですね

 

過去の鬼滅記事はこちら

 

www.tachibanashi.com

 

www.tachibanashi.com

 

劇場版のサイトはこちら

kimetsu.com

 

小説版はこちら

 

公開初日の朝に見てきたので、特典の零巻も無事ゲットできたのでほんとよかったです

450万巻用意してる、みたいなのを見たので案外後でも入手できたのかもしれません

 

当日の振り返りと感想についてまとめます

 

TOHOシネマズへ

当初はコロナもあれだし、人が少なくなったころに見ようかと思っていたのですが

ネットにて零巻の存在を知り、状況が一変

なんとしても初日に鑑賞する必要が出てきました
(とはいえ、後で確認したらジャンプに載っていた読み切りと同じ内容だったので実はそんなに重要ではなかった…)

 

すぐにネットで初日の朝の割と空いているスクリーンを予約
IMAXはほぼ満席、舞台挨拶は完売だったのでもう見れればどこでもいいや、みたいな気持ちでした

 

映画当日はなんとか早起きをし、急いで劇場へ

 

フロアに降り立った瞬間、見渡す限りの人、人、人

想像の3倍くらい人がいて、鬼滅ブームの大きさを実感しました(1回目)

TOHOシネマズは現在、マスク着用を義務付けられているのですが、それも納得の人数でしたね

グッズ販売にも長蛇の列ができており、グッズ勢は大変だなと思いながらチケットを発券し、映画に備えました

 

入場の時間となり、チケットを見せ、お目当ての零巻とワニ先生のメッセージ、グッズ催促の広告を入手

この広告は種類があるので、コンプしたい人は大変かもしれません(自分は善逸でした)

 

席に座るとチケット完売のアナウンスがあり、鬼滅のブームの(略(2回目)

映画上映前の(長ったらしい)CMでも鬼滅コラボのものがたくさんあり、漫画とか全然興味を持っていない層にも影響があるレベルのブームなんだなと、鬼滅のブー(3回目)

 

映画本編について

さて肝心の映画についてですが

大・大・大満足の出来でめちゃくちゃ楽しかったです(小並感)

 

さすがufotable

TV放送のときと同じように余計なアレンジを入れず原作に忠実で丁寧にそのままアニメ化をしていて、それでいて映画版ならではの超絶作画がずっと続いているので、ほんと映画を作ってくれて大感謝って感じです

 

映画だけだとあんまり実感はないんですけど

無限列車編はストーリー的には、「炭治郎たちの成長お披露目」「柱の実力披露」「上弦の実力披露と挫折」という、どっちかというと舞台説明と次の展開に向けたバネみたいな位置づけなので、映画にするには微妙なんじゃないかと思ってました

ただ煉獄さんのエピソードが単体で熱いので、後半になるにつれて面白さが増していきましたね

 

微妙だった点としては、中盤までのテンポですね

個人的には中だるみも、演出上のテンポも悪いなと思いました

特に各キャラクターが催眠によって夢を見るシーンがあるんですけど、4人分の夢の内容を描写していて、その辺がまだるっこしく感じました

原作だとギャグ調で数コマしかないのでさらっと流せるんですけど、映画だと何分か見続けないといけないので、その辺がしんどかったです

 

挿入歌とかBGM、効果音、CGの使い方、エンドロールとかはもう文句のつけようがないので、ぜひ映画館で見てほしいなと思いました

 

映画単体でもおもしろいんですけど、前後の文脈がわかってるとより面白いので、予習してから行くことをおすすめします

 

あと猗窩座のCV石田彰でテンションが昇天しました

石田彰はずるいわ、まじで

 

 

 

ネタバレありの感想(書き殴り)

まずはストーリーについて

やっぱ煉獄さんのエピソードは最高だ(恍惚)

無限列車編のインパクトは、炭治郎の成長と柱の実力披露をして、次の強敵に向かうぞ!って流れになるのかと思いきや、天災的な上弦の急襲でまた挫折を突き付けられるところなんですよね

 

ジャンプ本誌を読んでいるときは、煉獄さんつえー、柱やべー、下弦も倒せるようになったんだなーって能天気なところから、猗窩座殿登場でいきなり緊張感が走って、「え?煉獄さん死ぬの?」とあっさり新キャラが死んでしまう衝撃がすごかったです

 

特に煉獄さんは柱合会議で「頑固で話が通じなさそうだけど、主張が正しければ感情的に納得できなくても、それを許容するような一本筋が通ったキャラ」であるのはわかっていたので、炭治郎一行とのやりとりや、過去の親や弟とのエピソードで「正義感と使命感が強くて、さらに面倒見がよく仲間想い」の一面が見えてきて、こちらも感情移入しかけていたところでの死亡だったので、かなりショックだったのを覚えています

 

鬼滅のロジックでは状況的に死なざるを得ない状況ではあっさり死にます

だから、痣がでていない煉獄さんが猗窩座に勝つのは無理ですし、戦いに負けて死ぬのも当然です

でも、人の思いを乗せて死力を尽くして、勧誘のために舐めプをしていたとはいえ、あと一歩まで追い詰めた煉獄さんの株が落ちることもありません

 

柱の株を落とさず、上弦の強さを演出するためのベストを尽くしていってくれましたね

 

 

煉獄さん個人に関してはすごく好きなキャラクターの1人です

もちろんこのときのエピソードの影響も大きいですね

 

ストイックにストイックに修行を積んで、いろいろな物を背負って戦い続け、結果を残してきた煉獄さんはそれだけでも良いキャラなのですが、死に際に母の姿を見、母から「煉獄はよくやっていた」と声をかけられた時の、一人の少年に戻ったあの笑顔が本当にエモポイントだと思います
あのシーンが本当に好きなんですよね

 

病床の母親に抱きしめられて涙を流して決意を固めていた煉獄さんが、最後に報われる感じが本当に涙腺に来ました

 

また柱合会議で禰豆子を積極的に殺す派だった煉獄さんが、禰豆子の戦いを見て考えを改めて「認める」のも本当にエモです

曲がったこと、理屈が通らないことは認めない煉獄さんが言うからこそ、禰豆子が鬼殺隊の一員として本当に認められたんだってエモいですよね

 

 

 

それと炭治郎が猗窩座に投げかけた言葉(煽り)は真理を突いている部分もありますが、トータルで見るとただの負け惜しみなのがまたいいんですよね

 

無限の時間がある鬼と有限の人間

身体が再生する鬼と戻らない人間

 

 

正直、体が欠損すること前提の戦い方は「武を極める」という観点からするとどうなの?とは思いますが、猗窩座の戦い方は鬼の特性を活かした戦い方で、ただ持ってる能力を使ってるだけなので、「人間は体が戻らないけど、鬼は戻るんだから卑怯だ」と言われても、自分の能力を使って何が悪い?という話ですね

 

鬼狩は鬼に有利な夜で戦ってると言われても、昼には鬼が活動できないんだから、別に条件は同じなんです

 

だから、猗窩座は自分の長所を活かしているだけで卑怯者でもなんでもないとは思います

炭治郎的には煉獄の死が間近になっているので、とにかく猗窩座に一泡吹かせたくて仕方ないから、ああいう言葉が出てきてしまったのだと想像しています

 

「猗窩座は生き残って煉獄は死ぬ」という事実だけ考えると、この戦いは猗窩座の勝ちでしょう

猗窩座からすると、そりゃカチンときますよね笑

勧誘のために手を抜いて戦っていて、太陽が出るから逃げたのであって煉獄との個人の闘いでは負けたわけでもないし、とどめを刺さなくても死ぬんだから別に逃げても勝ちの状況ではあります

 

自らの腕を切り落として逃走するのは鬼にしかできませんが、猗窩座は鬼だからそういう択を取ったのであって(まあこうなる状況を想定はしていなかったでしょうが)、人なら舐めプせずに煉獄は瞬殺されていただけでしょう


戦い的には煉獄の完敗のところを素直に認められずに、どうしても煉獄さんのことを悪く言わせたくない、勝っていたと思いたい気持ちからあふれ出てくる、あの負け惜しみが光ってるんですよね
炭治郎の内面から出てきたと思えるセリフだからこそ、こっちの心にも響いてくるいいシーンでした

 

煉獄さんが他の柱に慕われている描写もいいですよね

特に蛇柱の「俺は信じない」は本当に好きです

 

 

無限列車編は

・炭治郎達の挫折と成長の起点になる

・上弦>>柱>下弦の実力差を示す
・「人の思いを繋ぐ」という物語のコンセプトを明確にしなおす

3つの要素を描いた重要なパートだと思っています

 

鬼滅の世界観は一貫してシビアでストイックなものです

努力すれば劇的に何かが変わるわけでもないし、状況が一気に好転するわけでもない

強くなったと思っても、まだまだ道のりは遠くて…

でも、目的のためには努力を続けるしかない…

 

普通なら心が折れそうな状況でも、粛々とやることをやっていく姿勢に心を打たれるんですよね

炭治郎はもちろんのこと、特に自分のためにしか戦ってこなかった伊之助が死んだ人のことを想って、涙を流しながら発破をかけて激励するのは、精神面の成長が見られていいですよね

 

また煉獄さんは鬼と人間の実力差の物差しになってくれました

この序列は物語の終わりまで、崩れることがなかったので
彼の格は落ちなかったのは良かったと思いました

 

強さの序列が明確だからこそ、炭治郎達はもっと強くならないといけないと決意をすることもできるわけですし

 

そして、このあたりから「人の思いを繋ぐ」というこの作品の根幹の思想が提示されてきた感じがありますね

 

あの産屋敷家の常軌を逸した覚悟も、無惨様のラストの名言もここから生まれたのかと思うとちょっとあれですが、鬼滅の方向性を改めて決定づけたいいエピソードだったと思います

煉獄さんの死は劇中のキャラにも読者にもインパクト絶大でしたが、だからこそ心に深く刺さって、思いを繋ぐことの重要性を体現してくれたキャラでした

もっと柱の外伝とか読みたいんですよねー

ワニ先生書いてくれないかな…

 

遊郭編も正直、映画でやってほしいですね

堕姫の帯攻撃とか遊郭の町とか画面映えしそうだし、こっちのほうが超絶作画で見たいです

 

たぶん、映画はもう一回見に行くと思います

色々取っ散らかったけど終り!

 

 

【弱虫ペダル】2年目も総北高校が優勝したようなので今後に期待していること~つまらないという評価を覆すために~

以前、弱虫ペダルの2年目の内容にあまりにもがっかりしたので

こんな記事を書きました

 

 

www.tachibanashi.com

 

実は2年目に関しては、途中から流し見していたのであまりちゃんと読んでいません

 

御堂筋と今泉が水たまりで競って、気持ちがうんたら~みたいなとこまではちゃんと読んでいた記憶があるのですが

その後は流し読みしていて、御堂筋脱落で完全に萎えたので、どういういきさつで小野田と真波の最終争いになったかはよく覚えていません

 

単行本が出たら読み返そうとは思いますし、2年目の内容に改めて文句を言うならその後ですかね

 

というわけで、ちゃんと読んでいないのにこういうことを書くのは自分でもどうかと思うのですが、弱虫ペダルの今後に期待していることを書こうと思います

 

 

インターハイはもう辞めよう!

まずはインターハイにこだわるのは辞めるべきだと思います

理由としてはもう物語として盛り上がりようがないと考えているからです

 

 

 

基本的にライバル関係にあるのは

小野田ー真波

今泉ー御堂筋

くらいで、個人的な好みにはなるのですが、スプリンターの銅橋-鳴子や岸神-鳴子は成り立たないと思っています

それは新開弟をはじめとした2年目で登場したキャラクターに魅力的なキャラクターがいないことが原因だと思っています

鳴子のライバルは1年目の段階で出しておくべきだったと思います

 

2年目でも1年目と同じように総北サイドが勝ってしまったので、主人公サイドに残された課題はもうなくなってしまいました

 

仮に3年目の途中で苦戦したとしても、2年連続優勝しているうえにメタ的にも「どうせ勝つんでしょ?」って透けてしまうところが嫌ですね

 

 

インターハイならではの要素としては、後輩への引継ぎになると思うのですが

金城世代と違ってインターハイに対する思いとか悲壮感がないので、何を引き継ぐんだろうか?って考えてしまうんですよね

 

金城世代はインターハイ優勝という大きな目標があって、「負けても後輩に夢をたくす」「勝っても後輩に連続優勝できるよう激励する」ことができるので、小野田世代に引き継ぐ要素はたくさんありました

 

じゃあ、手嶋世代から引き継げることは何か?、その後の小野田世代が引き継げることは何か?と考えたときに、2年目の優勝が大きく足を引っ張ると思います

 

こうなると3日間全て1位の完全優勝しかやることがないんですよね

3年目に完全優勝できなかったら、盛り上がる箇所がありませんし、ストーリーの展開もできないと思っています

 

それは弱虫ペダルのストーリー構造に原因があると思っています

「王者箱根学園に対して主人公たちがどう挑むのか、そこにダークホース京都伏見がどう絡むのか」という構図を1年目から貫いています

 

今となってはこれが問題で、キャラクターの能力はドカベンと同じように、主人公サイドが負けようがないのに、物語の構図が主人公の挑戦になっているところが違和感しかありません

 

苦戦しようがないのに、苦戦しているところがよくわからない

 

だから、総北が負けるとしたら2年目しかありませんでした

2年目は箱学がリベンジし、手嶋世代は「次年度の優勝、可能ならば夢の完全優勝」を

小野田世代に激励するのが展開として一番丸いと思っていたので…

 

それと小野田世代と後輩世代の関係性が希薄なのが一番良くないと思います

後輩で唯一のインターハイメンバーは鏑木ですが、彼は青八木と関係性が深くなってしまいました

 

小野田世代は「言葉ではなく結果で後輩に語る」世代になってしまったわけです

3年目のスタメンが小野田今泉鳴子は確定で杉元も入ると考えると、後輩枠は鏑木+誰かで、今更絆をつなげる必要があるかは疑問なんですよね

 

鏑木と小野田世代でなんらかのイベントがあればまだ違ったのですが…

後輩とイベントを出すなら、インターハイ後に何かイベントがあればいいなとは思うのですが、またインターハイまで飛ばしそうだしなあ、というのが正直なところです 

 

唯一残っている御堂筋の改心イベントを挟むタイミングがあったとしたら、2年目だったと思っています

2年目で独りよがりだと勝てない→3年目は仲間を信頼するようになる

 

御堂筋のキャラ的に仲間を駒として、勝利のために信頼するという落としどころになるとは思うのですが、そういうイベントもありませんでした

 

3年目のインターハイ途中で改心されてもなんだかな、と思うので

彼はこのままのキャラ性でいくのでしょう

 

 というわけで、今さら苦戦されたり、急なライバルが出てきても、後輩キャラが出てきても自分は受け付けないので、インターハイで敢えてやらないといけないことってないともう残ってないと思うんですよね

 

 

 

戦いの舞台を国外へ・・・

弱虫ペダルの今後の方向性として自分が提唱したいのは

「キャラの実力をどんどんインフレさせるべき」

ということです

 

もう小野田はこれ以上の成長の余地がありません

むしろ成長するとぶっちきりの最強選手になってしまうので、アクシデント以外で着順を落とせません

しかし、アクシデントを起こすと結局今までと同じになってしまう…

 

だから、レースの舞台をインターハイから国内のロードレース大会、そしてツール・ド・フランスへと移していくべし、というのが私の結論です

 

小野田は現状でも最強格の選手ですが、国内外のプロの選手が悠々と小野田を抜いて格の違いを見せつけることで、小野田の株を下げずに成長物語をかけます

また、一回負けたら終わりというわけでもないので、インターハイのようにメタ的に主人公サイドの勝ちが透けるということもありません

 

小野田に欠けていた挫折、特訓、勝利の流れをスムーズにかけるうえに、これまでとは異なる人間関係チーム編成もできるので、物語の幅はぐっと広がるのではないかと思います

 

少し商業的な発想でいくと、弱虫ペダルはキャラ人気で持っているところもあるので、クロスバイクでは活躍している卒業した先輩達と小野田世代を劇中でスムーズに戦わせることによって、ある種のドリームマッチを演出することもできます

 

同じロードレースの漫画である「かもめチャンス」のように、ツール・ド・フランス挑戦に向けたチームを作り、メンバーの選抜とかチームでのロードレースへの参加などをやれば、また色々できて面白そうですし

 

(かもめチャンスはリアル志向のロードレースマンガで面白かったのでおすすめです)

 

仮にチームを作るとしたら、小野田今泉鳴子真波御堂筋+1人になりそうですが、この1人は新キャラの実力者を入れてレースに参加するのを見るのも面白いなと思います

 

弱虫ペダル世界でのロードレースは自転車駅伝のような雰囲気ですが、世界編では現実のようにせっかくならチームスポーツだけど個人スポーツでもあるという側面を描いてほしいなと思います

 

エースを勝たせるように戦略を組むけど、狙えるならアシストが着順を取りにいってもいい、チームだけどチーム内でもバチバチに争うようにすれば御堂筋のキャラとも矛盾せずに、うまく話が膨らむと思ってます

 

小野田世代  VS 先輩チーム

日本 VS 世界

の構図にすれば、いくらでも展開は書けそうなので、また弱虫ペダルの人気が盛り上がるのではないかと思います

 

1ファンの余計なお世話感満載の妄想を書き連ねましたが、弱虫ペダルのことはなんだかんだ応援していて楽しんでいるので、また面白いストーリーを読みたいですね

 

先の展開にまた期待して待っていようと思います

 

 

【アニメ感想】けものフレンズ2を最終話まで見てあまりにも悲しくなったので感想と妄想を書きました

 

12話を見終わった直後の感想殴り書き

けものフレンズ2の最終話を見ました

私自身は熱心なたつき信者でもないし、けもフレというIPの信者でもありません

 

「けものフレンズ」というアニメを見てファンになり、監督交代によって不安を覚えたとか、たつき監督が作った1期と地続きの続編を見たかったとか、そういう思いがあったことは事実ですが、好きになった世界だったからという理由で2期のことは応援していました

 

別にたつき監督じゃなくても面白い作品が生まれればプロジェクトは続いていくだろうし、けもフレという作品のポテンシャルはそれを実現するのに十分あったと今でも思っているからです

 

 

正直なところ、けもフレ2には3話くらいで話の面白さを求めるのは辞めました

 

キュルルことスケブ太郎がよくわからん理由や方法で問題を解決し、なぜか称賛されていく様は、今はやりのなろう作品のフォーマットそのままですし、その要素全てが受け付けませんでした

 

フレンズたちとのやり取りも、1期とは異なりギスギス感というか余計な一言が多く、楽しいものとは思えませんでした

うまいこと皮肉っぽく言おうとしたものの、会話に水を差すようなことしか言えてないやり取りの応酬は、テンポも悪かったですし視聴者側としてもイラっとくる発言が多かったように思います

 

つまり、本作品が提示してきた「面白さ」は自分の感性と本作品は全く相いれませんでした

 

 

まあそれは「私には合わなかった」だけなので

特に批判もせず、かといって期待もせず

けもフレ2という作品の結末を見るために、毎週消化していました

 

けもフレ2で提示された世界観や設定の真相には興味があったからです

 

・キュルルの正体

・「おうち」の正体

・無機質な大型セルリアン

・ビーストの存在

・人型セルリアン

・海底火山の活発化

・かばんちゃんとサーバルちゃんに何があったのか

 

最後の設定に関しては、2のストーリーに直接かかわるものではないので、別に触れてくれなくてもよかったし、何なら触れないことで1期の想像ができることから、解決されなくても別に問題ありませんでした

 

ただ、他の謎についてはなんでぶん投げたの????って感想しか出てきません

 

研究発表とか聞いてても感じるのですが、作中で触れないなら出さないでくださいよ

100000000歩譲って、セルリアンやビースト関連は単なる設定だから無視するとしましょう

 

主人公格のキュルル関連の謎をっ全部ぶん投げるってどういうことですか

 

ひょっとして、「キュルルの正体はじゃぱりパークが正常に開園していたころの人間で、「おうち」はフレンズの皆と一緒ならどこでもよかった!12話で説明しきったでしょ」とか言うつもりですか?

 

視聴者を舐めすぎでしょ

 

キュルルが人間なのはわかった

こっちが気にしてるのは、客としてのキュルルと今のキュルルの間に何が起きたのかってことなんですけど

 

1期を踏襲してヒトのフレンズなのか、それとも人間そのものなのか

なんであのカプセルみたいな場所にいたのか

くらいは作中で説明してくれないと納得できません

 

これも「それはあなたはそう感じたんですよね?」案件なんですか?

 

「おうち」に関しても、設定をぶん投げるなら今までの旅は何だったんですか?

何のために旅をしていたんですか?

 

この結末につなげるなら「おうち」探しの設定必要でしたか?

 

私はけもフレ2に存在する物語は「キュルルは何者なのか」以外は存在しえないと思っています

キュルルの正体はブラックボックスになると譲っても「キュルルのおうちとは何か」というのがけもフレ2の物語の根幹のテーマだと思っています

1~11話は全てキュルルの「おうち」探しに費やされているからです

 

しかも、精神的に安らげる場所としての「おうち」探しではなく、物理的に存在していたであろう「おうち」を、スケッチブックの絵を探すという構成で進めていましたよね

 

私の解釈が間違ってるのかもしれませんが、イエイヌが提供するイエイヌのための「おうち」ではなく、キュルル本人が自ら見つけ出すための「おうち」を探すためにイエイヌを置いていったんですよね

 

キュルルにとっては、イエイヌが住む場所は「おうち」ではなかったから切り捨てましたよね

 

過去には「おうち」が存在したであろう描写を散々やっておいて、結末は「みんなと一緒の場所がおうち」ですか、そうですか

 

 

結局、キュルルはどこから来て何で今の現状になったのかは明らかにしないままおしまいですか

 

物語として成り立てませんよね

起承転結の起と承を延々と繰り返しておしまい!!!ってやって、作品として面白いですか

 

 

メタ的に考えれば120話構想の発現が示すように、本作はけものフレンズというシリーズのなかで、起を担当していたのだとは思います

ぶん投げられた謎はぶん投げられるために出てきているのであって、そもそも本作で解決しようとしていなかったという見方もできます

 

それならば、なおさら本作は本作としてまとめられていないことに腹が立って仕方ありません

回収するつもりがないならないで、それが気にならないようなストーリーにすればよかったのに、作中でも中途半端に触れてぶん投げるから気になってしまうのです

 

 

結局、作中で提示された謎や問題は何も解決できず、本人が満足したからOKでしょって納得しろということですか

 

私は1期のことは抜きにして、2期単体で見ても全く面白くはなかったです

もし、けもフレ2のファンの方がいたら、どの辺が面白かったか教えてほしいです

別に批判をしたいだとか、議論をしたいだとか、叩きたいだとかは全くなくて、至極単純にこのアニメのどこに面白い要素を感じ取ったのか教えてほしいです

 

 

 

けもフレ2という作品全体への感想

曲について

BGMの使い方は、緊迫した場面でほのぼのしたBGMを流したり

「うーん」となることが多かったです

 

一方でOP、EDの曲は素晴らしかった

自分がファンなのもありますが、オーイシマサヨシさんの「乗ってけ!ジャパリビート」は素晴らしい出来だったと思います

 

キャッチ―さでいえば、「ようこそジャパリパークへ」のほうが強かったですが

ジャパリビートのほうが繰り返し聞いて噛みしめると良さが段々とわかるスルメ曲でした

 

曲はモノレールで旅をすることを想定して作られていたと思いますが、本編ではモノレールがすぐにお役御免になっており、OPと本編でちぐはぐさが残っているのが、唯一の欠点でしょうか

 

曲は本当によかったんですけどねえ

 

キャラクターについて

CGモデルは前作よりもかわいくできていると思います

前作のほうが癖になる顔立ちでしたが、これは好みの問題でしょう

 

ネットでは人気のロードランナーとイエイヌだけは彼女たちの行動原理が見えたので

キャラクター像を掴むことができましたが、そのほかのフレンズは一貫して性格が見えてきません

そのため、愛着を持つことができませんでした

 

サーバルなんかは急にアホになったり賢くなったりして

「そんなキャラだっけなー」

 

と違和感を感じることも多かったです

 

モブフレンズはそもそも性格が印象に残るシーンがありません

 

本作と前作の大きな違いは

前作は動物を描写したのに対し、本作は動物の特長を描写したことでしょう

 

例えば、サーバルは木の上が好きで仮が好きだったりする一方で、料理のことを知らず箱の中のパンフレットを取れないなど、一貫して「喋る人型の動物」として描写されていました

 

しかし本作では、ジャンプ力がすごいなどのサーバルの特長を表すシーンはあるものの、サーバルっぽい仕草はあまり見られず、人工物に理解を示すシーンもあり、「動物の特長を持つ美少女」として描写されていました

 

本作では動物っぽさを走るのが早い、空を飛べる、泳げるなどの「○○ができる」というゲームのスキル的な描写に留めた点で、動物の擬人化ではなく人の動物化になっていたと思っています

 

この動物を描いたのか、動物っぽさを描いたかの、わずかな違いが視聴者に違和感として残ったのではないでしょうか

 

動物アニメからケモノ化美少女アニメへとなってしまったせいで、美少女なのに動物という異質さがなくなり凡庸な作品になってしまいました

 

ちなみにPPPのライブがペンギンっぽくないという意見に関してはどっちでもいいなという感じです

動きはぬるぬるしていてすごいなーと思いますし、アイドルライブとして考えるなら、前作よりもクオリティが高くて良かったと思います

カメラ目線なんかも別にメタでやってくれてるってことで自分は納得していました

 

そもそもPPPという存在が不必要だと思っているせいもあって、特に気にならなかっただけかもしれません

 

ギスギスした雰囲気について

初めにも書きましたが、たつき監督の作った続きが見たかったというのを否定はしません

そりゃ面白かった作品の続きを見たいと思うのは当たり前だし

漫画だって続編が別の作者によって作られたらいやでしょ

 

けもフレの総監督は吉崎観音だから、関係ないだろと言われればそうかもしれませんね

 

だからこそ、ネットに流れる噂は信じないようにして、面白い続編ができるのを期待していました

色々な人の解釈で自由にけもフレワールドを広げたい、みたいなこと書いてあったと記憶しているので、全く新しいアプローチでけもフレの世界を見るのも悪くはないなと

 

そうしたら、なんとかばんちゃんは出るわ、明らかに1期を意識した構成だわ、で

どう考えても1期と地続きの続編が出てきて落胆しました

 

「結局、続編なんかい」というのが第一の感想です

 

視聴してすぐに気が付きました

「キャラの発現が刺々しい」

雰囲気が前作と全く異なるわけです

 

たつき監督けものフレンズに見られる吉崎版からの“トゲ抜き”(トゲ抜きの無いけもフレ2との比較) - Togetter

 

この原因はこちらのまとめを読んで理解しました

 

 

要は2期の雰囲気がもともとのけものフレンズの世界観だというわけです

IQが溶けるだとか、優しい世界というのは、たつき監督の手によってもたらされたものであって、本来それはけものフレンズが意図するものではなかったようです

 

本来のけものフレンズは厳しい世界で厳しく生きるがモットーで

言葉のやり取りもお互いにチクチクと刺し合うような関係性で、無邪気だけど残酷で攻撃性を無意識に持つ世界であると理解しました

 

私は前作の雰囲気が好きでしたが、単に作風の違いなので会う合わないもありますし、2期の視聴はしんどかったですが叩くほどのことではないと思っていました

 

脚本について

私が一番しんどかったのは、脚本の出来のお粗末さです

www.nicovideo.jp

こちらの動画で詳細に解説されているように

旅の目的、移動指針、問題の発生原因、問題の解決方法すべてが「いやそうはならんやろ」としか思えませんでした

 

「スケッチブックの絵の場所を探す」という目的に対して、行き当たりばったりで移動するのもよくわかりませんし、結果的にうまくいってるのも納得できません

 

おつかいに行こうとして迷子になり、適当に歩き回ったら、たまたま目的のお店を全部回れました

とかそれと同じです

 

なんでモノレール乗ってに行こうと思ったのかが全然よくわかりませんでした

しかもすぐモノレールには乗らなくなるし…

 

問題があるからフレンズが困っているのではなく、フレンズがいるから問題が発生するという構図になっていることもストレスの一因です

 

見ていても、このキャラがうっとうしいな~とは思っても、可愛いと思うことはほとんどありませんでした

世間では人気のゴマすりクソバードことロードランナーも個人的には好きではありません

 

一番ダメだったのが、キュルルの提示する問題解決方法です

リレーも紙相撲もパズルも、その他キュルルの行動によって結果的にうまくいっては

いるものの、見ている側としてはやっぱり「いや、そうはならんやろ…」という感想しか出てきません

 

よくわからんまま移動して、よくわからんまま問題が起きて、よくわからん方法で問題がするっと解決されて、よくわからんまま次の場所に向かう

 

という流れが11話かけて行われ、12話ではそのどれも解決することなく、キュルルが楽しそうだからOKでおしまい

 

もうちょっとどうにかできたでしょ、というかどうにかしろよ、というのが率直な感想です

 

 

ビーストに関してもセルリアンに関しても、問題視されていたにも関わらず偶然すべてがキレイに片付いたわけで、登場キャラクターは何をしていたんでしょうか

 

そしてビーストの扱いに関してはひどすぎて何も言うことはありません

単なる舞台装置として死んでしまっただけなので、これが動物ファーストのやることなんですか

 

 

 

ぶん投げられた設定について

 

設定が唐突に現れては消え、現れては消え、いったい脚本として何がしたかったのかわかりません

上で挙げたものに加え、極楽バードの存在とか結局なんだったのという感じです

 

もう大成功しなくていいから、けもフレ2で提示したセルリアン関係とキュルルの正体だけ回収してくれたら、私は満足だったのですがそれさえもやってくれないなんて・・・

単純にがっかりというか、怒りを通り越してあきれていまいました

 

1期にあったセルリアンの弱点の話もなくなり、みんなワンパンで倒す割にセルリアンに怯えるのが滑稽すぎて何も言えません

 

幼児向けのアンパンマンですら、もう少しバイキンマンから痛い目に合ってると思いますし、警戒するのもわかるんですが

 

 

無機質な大型セルリアンとは?

ヒト型セルリアンがなぜ絵から生まれてくるのか?

ヒト型は同じフレンズじゃないと倒せないとは?

思いが強いほどセルリアンが強くなるとは?

 

この辺の設定は唐突に出てきて、消え去った設定ですよね

 

 

一応、考察というか、因果関係は考えてはいて

大型セルリアンの登場→人の思いがこもった物からセルリアンが生まれる伏線。人によって世界(自然)が破壊されたことを暗示

絵からセルリアン→絵には人の思い出が詰まっているので、セルリアンが生まれる

同じフレンズじゃないと倒せない→同程度の能力がないと倒せない

思いが強いほど強い→まあ最終的に盛り上がる要素ではあるのでわからんでもないが、フレンズに順序をつけることになるので、取り入れるなら力関係は人型セルリアン>フレンズで苦戦するけど、最後の友情パワーでセルリアンに打ち勝つくらいにしてほしかった

 

というはずなので、まあ理解はできると言えばできるのですが、説明はしてくれよと

 

 

 

2期のテーマはなんだったのか?

表のテーマ

前作のテーマは「ヒトはけものと対等な仲間で友達になれる」みたいな感じだと思うのですが、けもフレ2のテーマはどういうものだったのでしょうか

 

私は「人と動物の社会的な関係」だったのではないかと思います

 

1期は人と獣は対等であるというメッセージを込めていたのに対し

2期は「いやいやそうは言っても違うでしょ」というメッセージを突き付けるものだったのだと考えています

 

上のTogetterにも見え隠れしていますが、本来のけものフレンズの世界観は厳しい世界で厳しく生きることだと思うので、「対等に見えても、けものは人に支配されている。そこをどう乗り越えるのか?」というのが2期のテーマだったのかなと

 

1期は自然な動物の生態や行動だったのに対し、2期では「おねだり」や「タイヤでの遊び」、「ヒトと遊ぶ犬」など人工的な仕草や習性が強調されていたのはテーマに沿った結果だったのでしょう

 

そしてもう一つテーマがあったと考えていて

「ヒトが自然を破壊する元凶である」

というメッセージもあったのではないかなと

 

本作のセルリアンが全て無機物を模倣していたのは、人の業が動物に悪影響を与えることの比喩だったと考えています

 

この2重の「人→動物」の構造を描こうとしていたのではないかなと思います

 

 

人は動物の仲間だけど、実質的には支配者であり、動物を苦しめる存在である

→人と動物は対等な仲間で協力して生きていかなければならない

 

この流れをが2期がたどり着こうとしていた結末だったのではないでしょうか

 

初めから対等な仲間だった1期に対し、着地地点は同じでも2期では関係性が変化していく様を描きたかったのかなと

 

ギスギスしていたのは単なる脚本上の作風で他意はなかった可能性が高いですが、支配構造を打破して対等な立場として改めて協力するための布石として描いていた可能性もあると思っています

 

キュルルが遊びを提供していたのは、人と動物が対等な関係になる、ということを示したかったからだったのではないでしょうか

 

問題解決方法を提示するのではなく、ヒトであるキュルルも動物であるフレンズの輪に入っていく過程が遊びだったのではないかと考えています

 

1期のかばんちゃんは「ヒトである自分に何ができるのか?」と考えた結果、ヒトとしての知恵を活かしてフレンズを助けていき、最終的にはフレンズの仲間になっていきました

 

 

2期のキュルルは支配階級である人が、被支配階級である動物に歩み寄っていき仲間に入っていく構図であり、やろうとしていたこと自体はかばんちゃんと同じだったと考えています

 

キュルルの遊びは叩かれてしまった理由は、単純に演出がしょぼくて

キュルルの行動が「なろう作品」のようで視聴者の癪に障っただけだと思います

 

 

 

裏のテーマ

この作品には一貫したもう一つのテーマがあると思っています

それは「1期の否定」です

 

初めは単に演出能力不足でそう見えているだけで、悪意を持っているとか言いすぎではないか、と思っていましたが、12話で悪意を確信せざるを得ませんでした

「前作を否定しなかったものとし、本作こそが正当なけものフレンズである」という主張をするために生まれてきた作品なのです

 

この悪意が生まれた経緯を邪推すると

いつの間にか、「けものフレンズ=たつき」の構図ができてしまい

ただの雇われ監督に名声が持っていかれることが許せなかった

 

しかも、たつき監督が描いた世界は、本来のけものフレンズが意図したものではなかった

 

「本来の作品性を捻じ曲げられ、しかも大人気になった状況が許せない

 でも、けものフレンズというIPはたつきなしでもやれるポテンシャルがあるんだ」

 

ということを誇示するために

1期の構図に2期の「本来の」けものフレンズのエッセンスを足していったのではないでしょうか

 

1~11話で制作側としては「たつきはこう表現したけど、本来のこっちの演出のほうがいいだろ?」と言いたかったのだと思います

 

しかしながら、1期の要素は1期全体で筋が通った状態だから良かったのであって、いいとこ取りをしようとして、チグハグな出来になった印象を受けます

唯一、明確に2期が優れていたのはPPPのライブシーンくらいです

 

 

そして問題の12話ですが

完全に「現KFPがたつきを超えていく」ということを表現した話だったと思います

 

本物をコピーした人型セルリアンが前作12話を意識した構図で立ちふさがるシーンは悪意の塊でしたね

 

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ニコニコ動画より

 

 

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アマゾンプライムビデオより

 

コピーを前作の構図で並べて打ち倒すさまは

「お前らみたいな偽物は本物の私たちが倒しますよ」

というメッセージを感じずにはいられません

 

 

そして、ラストのかばんさんとサーバルのやり取りも

「サーバルは前作のかばんではなく、本作のキュルルを選ぶ

 =けものフレンズは私たちのモノだよ」

というメッセージ

 

サーバルの記憶喪失も、前作のことは今後、忘れていきます

という意思表示

 

なのかなあと邪推してしまいます

 

 

またCパートのイエイヌの描写も

キュルルは過去に客としてジャパリパークに来ており、サーバル達フレンズとは先に仲良くなっていた

つまり、歴史的に「キュルル→かばん→キュルル」でありかばんの冒険は外伝になりました

というメッセージでしょう

 

これらは全て私の妄想にすぎませんが、本作からは無能では片づけられない意志の強さを感じずにはいられません

全てポンコツならいいのですがやらなくてもいい表現、特に1期の要素を否定する部分はしっかりやっているところに主張の強さを感じてしまいます

 

これまでの描写を素直に受け止めると

「1期、かばん=たつきを倒し、キュルル=KFPこそが正しいけものフレンズなのだ」

ということを言うためだけに作られたと考えずにはいられないのです

 

 

 

まとめ

私がけものフレンズ2で悲しかったのは

・単純に2期の出来が想像以上にひどく、単体でも楽しめるようなものではないこと

・1期を否定するような要素が多く、それは意図的な悪意によるものの可能性が高いこと

 

の2点です

 

人に寄っては製作者のツイッターでの態度に怒っている人もいるでしょうが、私は作品は作品として評価するようにしています

世界観が好きで楽しみにしていたのでできるだけ悪いことは書きたくなかったです

それでも、とても擁護できるような出来じゃなかった

 

こんな出来なら2期なんて要らなかったと思います

 

 

「けものフレンズ2」は成功へのハードルは高かったかもしれませんが、失敗のハードルはとても低かったと思います

 

前作がアニメ史に残る奇跡の出来だったので、それを超える成功はたつき監督が続投していても難しかったかもしれません

しかし、爆死することはなかったでしょう

 

けものフレンズ2が失敗するためには

たつき監督を続投させる、前作とは全く違う世界観で作る、フレンズだけのほのぼの日常ものにする、伏線を広げず、動物ファーストを貫きビーストを助けるEDにする

を全て行わないという、選択肢の中で最悪のものを選び続けないと達成できなかった可能性が高いです

 

普通に作ってもポテンシャルで佳作にはなったはずだし、失敗しても期待外れの駄作どまりだったはずなのに

全ての地雷を踏みぬいた結果、駄作からさらに下に行ってしまいました

 

製作期間が短かったけど頑張って作ったものの、微妙な出来だったというだけでは

視聴者が「期待外れで残念」で止まらず、怒りまでいくようなことはなかったはずです

 

頑張って作ったようには思えないのにもかかわらず、作品の中には前作のファンをバカにする悪意を込める

 

こんな最低な作品に仕上げてくるとは思いもしませんでした

 

もうけものフレンズという作品はおしまいでしょう

1期「けものフレンズ」という新しい世界を一瞬でも夢見ることができ、オーイシマサヨシという素晴らしいミュージシャンを知ることができてよかったです

 

次、アニメが作られたら見るかはわかりません

ただの動物美少女アニメならあまり興味をそそられないので

 

動物ファーストの生態アニメなら少し考えます

 

 

こうあってほしかったけものフレンズ2の妄想

正直、キュルルとイエイヌで12話作ったほうがよかったんじゃないかと思っています

 

現実の2期がショックすぎたので、自分のなかで理想の2期を考えて妄想が止まりませんでした

 

悪意も含めた設定をそのまま拝借するなら

キュルルは昔パークに来ていた(住んでいた)客でイエイヌと仲良しだった

セルリアンの大異変でキュルルは大ケガを負い、やむを得ずサンドスターのカプセルで保護することに

 

ケガが治り目が覚めたキュルルは記憶がなくなったところがスタート

 

・キュルル は記憶を探すためにサーバルカラカルと旅をすることに

・スケッチブックにモノレールが映っているのでモノレールに乗ってパーク内の色々な場所を訪れる

・行った先でフレンズが退屈していたのでキュルルが遊びを提供して仲良く遊ぶ

・遊んでいるうちに記憶が少しよみがえる

・過去の絵に、今回遊んだ内容を付け加える

・次の場所に向けてモノレールに乗る

みたいな流れを基本は繰り返す

 

記憶をなくしたイエイヌもぼんやりと人を探している様子をBパートで流す

みたいなストーリーを大筋にする(1~6話)

 

PPPライブ(7話)

ライブを盛り上げるために案が欲しい→劇をやる

 

ビーストはフレンズが野生開放をした際にサンドスターが暴走した姿

ビーストからフレンズに戻るのは難しく、一度動物を経ないといけないため記憶をなくす

みたいなのを、アムールトラを出して途中でやる

ビーストからフレンズに戻す方法を探す、ビーストをフレンズに戻す(8~10話)

 

パーク内を動き回っていたキュルルとイエイヌ落ち合ったけど、記憶がないからなんかぎこちなくて…

接しているうちに、キュルルとイエイヌのお互いの記憶がよみがえって喜んでいたけど、巨大セルリアンに襲われて、イエイヌがビースト化(11話)

 

ビースト化して巨大セルリアンを倒して

「短い間ですけど楽しかったです。記憶がなくなっても、また遊んで思い出をたくさん作りましょう」

「これまでのことも、これからのことも一生忘れたくない!だからイエイヌも記憶をなくさないでくれ」

みたいなやり取りをキュルルとイエイヌでさせて

 

そしたらご都合主義的にサンドスターの柱が光って、記憶をなくさずにイエイヌはフレンズに戻る

 

 

 

初めの場所でモノレールの路線が別れていて片側は今回の旅で使った路線、もうひとつが別の地方につながる路線

 

 

んで、モノレールに乗って未知の場所へ人を探しに、そして新しいフレンズと遊びにキュルルとイエイヌは旅立つ’(モノレールが出発する前からジャパリビートが流れる)

 

 

小さくなるモノレールと見送るフレンズ

 

ジャパリビートが2番に入ったところでスタッフロールとキュルル&イエイヌが旅先のフレンズと遊んでいる映像とキュルルが描いた絵が流れる

 

 

EDが終わったらCパートに入って、大きくなったキュルルとイエイヌの後ろ姿

サーバルとカラカルに向かって「ただいま~」と言いながら走って行って帽子が宙に舞ってEND

 

かばんちゃんとの差別化としては

かばんちゃんは「自分にできること」は何かというアプローチだったけど、キュルルはみんなと楽しむために輪に入るみたいなもう少し年齢低めな感じでいくとこ

 

問題の解決方法とかじゃなくて、ひたすら仲良く遊んで思い出を作っていくとこにフォーカスしていく感じ

 

戦闘に関してはセルリアンは基本的にビーストに倒させる感じにする

闘争本能だけ残ってるからセルリアンを優先的に倒すけど、近づいたフレンズも攻撃しちゃうバーサーカーみたいな存在にする

 

だからこそ、イエイヌが自らビーストになって、これまでの記憶と引き換えにキュルルを守ったらエモいかなって思った

しかも、記憶がなくならずハッピーエンドならなおさらエモいかなって

 

これで2期はよかった

海底火山とか大型セルリアンとか人型セルリアンとかかばんはカットする

たぶん、プロが作るものよりも面白くないけど、こういう感じのやつでよかった…

2次創作をする人たちの気持ちがはじめてわかってしまった

 

 

これで「時空を超えたヒトと動物の絆」みたいなものを描けばよかったんじゃなかろうか

 

まあどんなことを書いても全て妄想だし、けものフレンズ2のEDはああなった事実は変わらないのだけども

 

【2019年5/6追記】ライフをうまく使い切るために「マンガワン」の面白い&おすすめ作品11選を紹介したい

今回はマンガワンで筆者がおすすめしたいマンガを10作品紹介したいと思います

 

朝と晩に無料ライフが4個ずつ、1日1回動画を見ることで課金チケットがもらえます

 

初めはお目当ての漫画を読むはずなので、無料ライフはむしろ足りないと思うのですが、毎日読んでいるとライフが余っている人も多いのではないでしょうか

 

そこで、無料ライフを適度に消化できるように

筆者がおすすめしたいマンガを10作品紹介しようと思います

 

 

全巻イッキ

全巻イッキは無料ライフだと1日1話しか読めませんが、毎日無料ライフを使って長い間楽しめるので、気に入った作品があったらコツコツと読めるところが魅力です

 

期間限定の全巻イッキは基本的に無料ライフだけでは間に合わないようになっているので、課金するか毎日チケットを貯めておいたほうがいいですね

 

 

めぞん一刻

 

サンデーが生んだ大ヒットメーカー高橋留美子の傑作ラブコメですね

一刻館という古いアパートの住人である主人公「五代裕作」と若い未亡人の管理人「音無響子」を中心としたラブコメディ漫画ですね

 

 

響子さんは最近の漫画のキャラクターと違って、性格が特別良いわけでもないですし、むしろすぐやきもちを焼いたり、相手に当たったりしてめんどくさい部類ですが、それでも不思議と魅力的なヒロインなんですよね

 

五代君も五代君でダメなところもたくさんありますが、それ以上に人が良く魅力的なので読んでいて嫌な気はしません

 

他にも一癖も二癖もあるキャラクターとのリズミカルでコミカルな掛け合いも面白いですが、逆にその雰囲気が合わないと辛いかもしれません

 

ただ、ラブコメ漫画の金字塔なので読めるならぜひ読んでみてほしい作品です

 

 

おやすみプンプン

 
機動警察パトレイバーなども一気に公開してくれました

 

 
 
 
 

恋愛もの

プロミス・シンデレラ

 
 
 
 
 
 
 

とある事情でバイオリンを弾くのを辞めていた元天才少年「青野一」は進路に悩んでいたとある少女と知り合い、とある高校のオーケストラ部と出会い、元天才少年で止まっていた彼の人生が再び動き始める 

 

ザ・王道ど真ん中の青春部活マンガですね今のところは恋愛ものというくくりよりは、青春ものかもしれない雰囲気としては「ちはやふる」に近いですね 絵もきれいでキャラクターも個性豊かで魅力的で、早く次の展開を読みたいですね 個人的には部活編がひと段落して、恋愛模様がどうなるかが気になっています   

 

 

 

 

 

 

スポーツもの

送球ボーイズ  

【マンガ】 鬼滅の刃の感想・考察・妄想あれこれ-vol2

前回からだいぶ間が開いてしまった

 

 

www.tachibanashi.com

 


 

前回はヒノカミ神楽についてつらつら妄想を垂れ流したけど、最近の話に関する妄想も書いておこうと思う

 

 

「極めれば行き着くところは同じ」

 かつての日の呼吸の使い手が放していた、極めれば行き着くところは同じの意味について

 

結論から言えばこの言葉が意味するところは、寿命が縮む&鬼化するということだろうと思われる

 

まず全集中の呼吸は増強させた心肺によって、血液の巡りを良くし一時的に身体能力にブーストをかける鬼殺隊の技術で

当然、身体には過剰な負荷がかかってしまうため、きちんと鍛えていないと自分にも相当のダメージが残ってしまいます

 

また体に合う呼吸・合わない呼吸が存在しており、合わない呼吸ではうまく力が発揮できないことも明言されています(炭治郎の水の呼吸とか)

 

炭治郎の父親である炭十郎は見るからに衰弱していましたが、これは体に合わない呼吸を続けたことによるダメージの影響があったのではないかと思われます

 

また感情の高ぶりによって、最大心拍数がさらに増大すると「痣」が出現し、さらに身体能力が向上することが鍛冶屋の里襲撃編で明らかになっています

 

「痣が発現したかたはどなたも例外なく~」と何か秘密があることもわかっており、かつこの現象は不可逆であるようです

 

「人の心臓は一生に拍動する回数が決まっている」というある種の迷信について調べると興味深いことが書かれていました

 

実は哺乳類の場合、いろんな動物の寿命を心周期で割ってみますと、15億という数字が出ます。つまり、哺乳類の心臓は一生の間に15億回打つという計算になるわけです。

(参考:ゾウの時間・ネズミの時間 本川 達雄 氏

 

つまり、心拍数を異常に高めた状態を維持することで心臓が打てる回数が減り、それによって寿命が減っていくのではないか、という結論に達しました

 

実は、縄文人の寿命は31年だったという推測値があります。本来の人間の寿命はそのくらいなのかもしれません。15−16歳で子供をつくって、ある程度子育てして次の世代にバトンタッチしていくという循環だったんでしょう

(参考:ゾウの時間・ネズミの時間 本川 達雄 氏

 

悲鳴嶼行冥さんが「私は一体どうなるのか」と言っていたのは年齢が生物学的な寿命に近く、もうすでに呼吸によって身体がダメージを負っていることからの台詞でしょう

 

おそらく鬼殺隊では30くらいで前線から、後進育成の立場へと移っているのかなと

そこまで生き残れた隊士を寿命が尽きるまでこき使うのではなく、余生は育手として頑張ってもらう感じでしょうか

 

 

さてなぜ鬼化するのではないか、という妄想になったかというと

1つは痣が鬼の紋様に似ていること、もう1つは黒死牟が日の呼吸の剣士にそっくりであることが要因です

 

呼吸をある種極めることで発現する痣の形は、各呼吸によって異なっており、その形は鬼の体に浮かぶ紋様と似ていることが明言されています

そもそも呼吸とは人のまま鬼に匹敵する力を得るための技術で、「人から鬼に近づく」ことを意味しています

 

したがって、呼吸によって人から鬼へと近づき、一線を越えてしまうと人でありながら人でなくなり、最終的には鬼になってしまうのではないかと考えています

 

 

これまでの描写を見ていると

体への負担は派生呼吸よりも、元の日の呼吸(ヒノカミ神楽)のほうが圧倒的に大きそうです

 

痣を発現し一線を越えた状態で、負荷に体が耐えられなくなったそのときが、人から鬼へと移り変わる瞬間なんじゃないかと妄想しています

 

黒死牟が竈門家に日の呼吸を託したのは自分の寿命の人としての終わりが近いため、やむを得ず伝承したのではないかと思います

その後、体が限界を迎え鬼化し、鬼辻の配下になったのかなと

もちろん、なんで鬼辻の言うことを素直に聞いているんだ、みたいな問題は残ってしまいますが…

 

 

鱗滝さんのお面

選抜試験で鬼が襲う目印となっていたお面はあそこで割られたきり出てきていません

当初は常備させる予定だったけど、書くのが面倒とかデザイン的に邪魔だから無くしたとかメタ的な事情は考えられますが、もう一度出てきてくれないかなという妄想です

 

選抜試験以来、全く登場していないお面ですが

これは炭治郎が水の呼吸の正統な使い手でないことの比喩だったんじゃないかなと思っています

 

つまり、お面をつけられるのは水の呼吸の継承者である冨岡義勇さんただ一人なのではないかと

 

今は本人がコンプレックスを色々とこじらせているので、自分は柱にふさわしくないだのなんだの言っていますが、今後の展開として義勇さんがお面をつけるシーンがあるのではないかと期待しています

 

シチュエーションとしては、水の呼吸の柱として自分で自分を認めた義勇さんが、猗窩座かだれかの強敵と対峙したときに、懐からおもむろにお面を取り出し装着、そしてしがらみから解放され真の力を発揮する義勇さんが見たいですね

 

 

 

雷の呼吸漆ノ型 火雷神

これはまだあんまりまとまっていない

 

 日本神話の中では火雷神は、伊邪那美命の体に生じた8柱の雷神の1柱だが、ここでは8柱の雷神の総称として火雷大神の呼称が用いられる(この1柱の火雷神については後述

 

火雷大神 - Wikipedia

 

火雷神はイザナミから生まれた雷の神様

イザナミは黄泉の神様で黄泉比良坂ではイザナギに対して鬼を動員してたりもする

 

天照大神もイザナミから生まれた太陽の神様なんだけど、古事記だとイザナギが黄泉比良坂から帰ってきたときに生まれたらしい

 

今、もやっとした妄想にあるのは各呼吸の最後の技は神話の神様の名前が付くんじゃないかってことと、イザナミとイザナギ、鬼と人の対比とかないかなってこと

 

優れた呼吸の使い手が柱と呼ばれるのは、呼吸を極めたものが行きついた先は太陽神から新たに生まれた神みたいな扱いだから単位が「柱」なのかな、みたいな

 

うまいことまとまってなくて、言ってることがめちゃくちゃだから早めに整理してしまいたい

 

そもそも的はずれな考察な気もするけど…

【咲-saki-】咲阿知賀編の実写映画と舞台前挨拶

今日は梅田ブルクで実写版の咲阿知賀編の映画を見てきました

 

前作に引き続きドラマも毎週楽しみに見ていたし

アイドルオタクになってしまったのでイベント参加に抵抗感も失われ

今回は舞台前挨拶付きのチケットを買ってしまったのです

 

映画の出来栄えは文句なしのクオリティで、とても楽しく見ることができました

阿知賀編はよく考えたら結構ストーリーが長いので、準々決勝は省略するのかな、とも思ってましたが、きちんと原作のストーリーをほぼ全て含めて、約2時間に収めたのはすごいと思います

 

アニメの実写化という高いハードルを前作は悠々と越え

今作もさらに上がったハードルを越えていきました

 

ほぼ完ぺきといっていい出来栄えだったので、咲ファンだけでなく色々な人に見てほしいです

 

監督やキャストの皆さんには素敵な作品に仕上げていただいて感謝しかないです

ほんと、来年は全国編作ってくれないですかね…

 

 

ちなみに舞台前挨拶は監督と浜辺さんと浅川さんだったのですが

2人ともとてもいい子で可愛かったです

光輝いて見えました

 

浜辺さんはやっぱり天然なんだろうなってのがよくわかりました笑

浅川さんは場慣れしてるだけあって、オタクのツボを心得てるなと感謝ですね

 

浜辺さんの投げた牌がこっちに飛んできて焦って取り損ねたのだけは一生後悔すると思います

なんで両手で取りにいかなかったのか…;;

 

 

以下、思い出せる限り映画の良かったところを断片的に書きます

前作は部長のシーンが省略されていたりして、悲しいところもあったんですが

今回は特に不満点はないです。ほんとに。

 

 

準々決勝の描写

穏乃のせいで危うく敗退しかけるも、気合で直撃、逆転した準々決勝

原作もさらっと流していたところですが、越谷女子の再現っぷりにちょっと感動してしまいました

 

越谷女子はどっちかというとモブなんですが、キャラデザはインパクトがあるので

どう再現するんだろうと思っていたら、これ以上ないキャストでしたね

描写がほとんどないのがほんとにもったいない

 

本当に咲という作品に真摯に向き合って作っていただいたんだなあというのを感じました

 

 

エピソードの取捨選択

ところどころエピソードを削ったり、オリジナルを足したりしていたんですが、そのバランスが絶妙でした

 

元々、阿知賀編は決勝で清澄と当たることが前提になっているせいもあると思うのですが、準決勝先鋒戦以外は展開がイマイチ盛り上がらない感じなので、映画のオチとしては微妙じゃないか、とも思っていたのですが

赤土さんのトラウマ克服と淡対穏乃にフォーカスすることでうまく盛り上がる構造になっていたと思いました

 

 

特に個人的に感心したのは副将の亦野の扱いですね

原作、アニメ共に副将戦では

飛びぬけた実力の白水哩、多面待ちとオールドスタイルの灼、それらに対処する船Qと大量失点する亦野

という感じで、亦野は露骨な点数調整係になっていたので白糸台の強豪っぽさが失われる原因になっていました

 

それが白水のリザベーションの能力説明や灼の思いを中心に描写することで

気が付いたら点差が平らになっており、亦野の戦犯感がなくなっていたのは物語の展開に水を差さずよかったです

 

 

キャラの再現度

越谷女子の再現度もすごかったのですが、主要キャラの再現度もかなり満足できるものになっていました

 

 

・阿知賀女子

ドラマ版で予め見ていたのでわかっていたことですが、みんなはまり役ですよね

みんな演技がうまいし、可愛いし

特に玄は実際にいたらこんな感じなんだろうなと思わせてくれる可愛さでした

泣きながらドラを捨てるところは、多分一番の盛り上がりですね

 

灼のオールドスタイルでの和了が原作よりもメッセージ性が強くてよかったです

阿知賀は赤土さんのトラウマ克服の物語でもあるので、師匠の無念を弟子が晴らす展開にしたのはよかったです

 

 

 

・千里山

怜は特別編ではどうだろう?と思ったのですが、映画で見て手のひらを返しました笑

アニメ版に近い感じの演技で、ああこれは怜だ、と思わずにはいられませんでした

咲良さんは本当に病弱そうに見えたし、怜を文句なしに再現していただけました

 

トリプル使った後の、ボロボロの感じとか

竜華の太ももに顔をうずめるところとかが好きです

 

枕神怜ちゃんはこの手があったか!って感じですね

現実的な範囲でありつつ、それでいてしっかりと納得できる描写だったと思います

 

船Qは原作より活躍度が低めでしたが、リアルな関西女子高生感が出ててよかったです

昔、塾講師をしていたときにあんな子は実際いたんですよねw

 

 

・新道寺

すばら先輩がよかったですね

捨て駒任されましたのシーンではわかっていてもぐっときました

そもそも声がアニメ版に近かったのもありますが笑

 

白水・姫子のコンビは元々、ルックスが自分のストライクゾーンど真ん中だったので

とても楽しみだったのですが、期待以上でした

 

白水役の高田さんは仮面ライダーオーズのときから、美人な人だなと思っていたので

まさかまた女子高生役を観れるとは思いませんでしたし、白水の気だるそうな感じがよかったです

 

姫子はあざとい感じの動きでも、それが普通に可愛くて、美人な人は何やっても可愛いんだなって感じですね

姫子のリザベーションの描写はどうなるのか不安でしたが、さすがにさらっとしてましたね笑

 

この2人が歩いているシーンではスタイルいいなーってのと、身長高いなーってことしか頭に浮かんできませんでした

 

 

・白糸台

浜辺さんは完全に照でした

きりっとした声色は咲とは全然違っていて、やっぱり演技うまくて可愛くていいなあ、と語彙力が低下しています

コークスクリューツモの演出はちょっと過剰だったのでは、という感じですが

照はそれくらい強いので仕方ないですね

 

 

淡も生意気な感じがよかったです

あがるときにちゃんと牌を逆回転させているところは原作愛を感じました

 

 

その他もろもろ

 

三尋木プロはやっぱり出てこなかったのが悲しかったです

あの人好きなので…

 

ヒステリックブルーの春~spring~はやっぱりいい曲ですね

青春物にぴったりです

 

全国編をぜひ作ってほしいのですが、なんとなく難しいのかな?と思っています

照役を浜辺さんにしたこともそうですが、原作のストックが足りなさそうだったり、予算は足りているのだろうか、と色々不安材料があります

 

エンディング後のシーンもきれいにおさまっていて素敵な演出だったのですが

あまりにもきれいに終わったので、これを区切りとして咲実写化プロジェクトはいったん幕を下ろすのかな?とも思いました

 

がんばって色々お金を落とすのでなんとかならないですかね…

とりあえずCDは買いました

 

笑顔ノ花/春~spring~初回限定盤(CD+DVD)

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取っ散らかってるけどおわり