先日、映画「君の膵臓をたべたい」を見てきました
インパクトのあるタイトルですし、話が面白いらしいと聞いていたので
原作を買おう、買おうと去年から気になっていたのですが、イマイチ気分が乗らず後回しになっていました
攻殻機動隊の映画を見ようと思っていたのに、気が付いたら上映が終了していた反省を踏まえて、思い立ったが吉日と先に映画を見に行ったわけです
僕は実写咲の映画を見てまして↓
そのおかげで浜辺美波の大ファンになっており
たとえ映画が面白くなくても、浜辺美波が動いているところを見れたら、それで十分だろうと
特に期待をするわけでもなく、普通のテンションで鑑賞していたわけですが
結論から言えば、途中から泣きっぱなしでした
ストーリー自体は割と王道進行でしたが
僕の涙腺はもともと弱いうえに、年のせいでさらに劣化してるので
感情の高ぶりを我慢できませんでした
映画があまりにも心の琴線に触れてしまったので
帰り道で本屋によって原作小説も買って、その日に読んでしまいました
久しぶりにここまで何かにはまった気がします
今では「いやあ、いい映画だったなあ」と心の底から賛辞しています
そんなわけで
映画と小説を見て気になったこと、思ったことをだらだらと書こうと思います
(ちなみに少なくとももう1回は映画を見直す気でいますw)
目次
初見で見た映画と小説の感想
浜辺美波と山内桜良
桜良という少女がとにかくかわいいんですよね
演じている浜辺美波が元々可愛いのもありますが、桜良という少女も可愛い
重い病気を抱えながら、活発で自由奔放に生きていて、毎日を楽しそうに生きている
人を引き付ける魅力があって、クラスの中心人物なのもうなずけます
浜辺美波のくるくると変わる表情は非常に魅力的でしたし、中でも笑顔は僕の心を鷲掴みにして離しませんでした
やはり彼女は笑顔が一番魅力的だと思います
口角があがっているのもポイント
桜良というキャラは非常にラノベのキャラクターにありがちな物語的なしゃべり方をするのですが
演技力の賜物か、意外と気にはなりませんでした
浜辺美波の演技力とルックスと声だからこそ桜良というキャラクターが生き生きとしていて
むしろ、演技っぽいセリフやぶりっこっぽいところも、心の底から魅力的に思えました
今の僕自身はどっちかというと、主人公の志賀君に近いので思わず感情移入してしまいました
正反対の人物である桜良は非常にまぶしい存在であり、住む世界が違う人間でありながらも、対等に接してくれるところに僕もシンクロして引き込まれてしまった気がします
ぐだぐだ書きましたが、僕が浜辺美波という女優が好きなので
単純にメロメロになっていただけな気もしますが笑
桜良と「僕」の関係性
この二人の関係は恋愛感情ではないなあというのが素直な映画を見たときの感想です
「他の誰でもない自分という存在を必要としてくれる相手」
なんというか友情とか恋愛とかそういう一般的な関係ではなくて
もっと心の深いところでつながった関係
利害関係とかではなくて、欲望とかでもなくて
単純に相手のことを想いやれる関係
強いて言えば「愛」なのかなあとも思ったりしました
一般的な恋愛という言葉で表現してしまうのは、二人の関係性の重みに対して
言葉が軽い感じがするんですよね
恋愛では命の重みや人生の重みのような積み重ねてきたものを受け止められない感覚があります
二人の間には「好き」という言葉を超越した信頼と欠かすことができない存在感があって魂のレベルで結びついている感じ
お互いがお互いに憧れていて、相手を取り入れたいと思っていて
最終的には不可分な関係になってしまう
だからこそ「君の膵臓が食べたい」という言葉の意味や重みが、ラストで心に響いてくるのかなと思います
意外だったのは、小説では桜良は恋愛感情を持っていたということ
確かに恋人関係になるようなカマをかけたりしていましたが、完璧な冗談ではなくて多少は本気だったということですかね
最後のメール
主人公が最後に送った「君の膵臓を食べたい」というメール
映画では桜良が見たのかどうかは明言されていませんでしたが、小説ではメールを読んでくれていたことに主人公は感動していました
僕としては、メールを見たかどうかはあまり重要ではなかったのかなと思います
もちろん、桜良がメールを見てくれていて、気持ちが伝わっていたということを
主人公が確認できたことは主人公にとって良かったのは間違いないのですが
桜良がメールを見たにしろ、見なかったにしろ
相手のことを思いやったときに、お互いが「君の膵臓を食べたい」という言葉の選択に、二人の精神的な結びつきの強さが表れていた事実だけで十分だったと思います
生きること
生きるとは誰かと心を通わせること(関わりあうこと)
この言葉は正直なところ、僕の胸に突き刺さりました
最近は主人公のように、自分は積極的には人と関わるのを辞めようと思いはじめていたところでした
誰からも必要とされていないから、誰も必要としないようにしようと思っていたのですが
それは自分が誰からも必要とされないような関係を選択して作り上げていて
自分がそういう世界を作り上げている、ということを突きつけてくれました
流されたのではなく、流されることを選択した
もう今更遅いのかもしれませんが、変われるだけ変わっていきたいですね
もう一つ印象に残ったのは
一日の価値は誰にだって同じ
という言葉
自分は時間があることに甘えていないだろうか
明日死ぬとしても後悔しない人生だっただろうか
そう考えたら、言い訳をせずにやりたいことをとにかく懸命にやろうと
心の奥底から力が湧わいてきたように思います
高校生のときにこの映画や小説に出会いたかったというのが正直なところですが
今からでもできることをやりたいと思います
エンディングの違い
映画版は桜良が死んでから12年後の「僕」がキョウコの結婚式に桜良の遺書を持って行って、「友達になってください」と伝えてエンド
小説版は桜良が死んですぐに共病文庫の遺書を見せて「友達になってください」と伝えたものの断られて、結局1年かけて友達になったところでエンド
「友達になってください」という言葉の重みは映画版の方が印象的だったけど
物語的には小説版の方が良かったかなという感じです
主人公が桜良の存在をきっかけ変わっていこう、という決意をして
12年はさすがに約束を果たすのに長すぎたような気もします
せっかく桜良は主人公の一部になったのに、12年経ってようやく再スタートというのは良く考えたら微妙だなあと思います
映画を見ているときはそんなことを微塵も思いませんでしたが笑
気になったところ
・なぜいきなり生徒に12年後の「僕」は桜良との関係を話したのか
良く考えたら、自分からべらべらと話すタイプではなさそうなのに
事細かに説明してあげたのかはよくわかりませんでした
回想という形式をとるために仕方なかったのかもしれませんが
・主人公の初恋エピソードが嘘だったこと
おそらく桜良が初恋の人である、という形にしたかったのかなと思ってますが
実際のところどうなんでしょう
・主人公の性格
原作小説では結構茶目っ気があるのですが、逆に自分は典型的なラノベ主人公っぽさを感じてしまったので
映画のほうが好みの性格でしたね
2017 8/27追記
・映画を見ていて見逃していたこと
最初に見たときは、いつ遺書を図書館に仕込んだんだろうと
あとになってから気になったのですが、ちゃんと「僕」と会う前に図書館に寄ってくると、明言していましたね…
しかも桜良が図書館で遺書を書いているカットもありました…。
多分、ぼろぼろ泣いていたので、後半のクライマックスのところは頭に入っていなかったのかもしれません笑
終わりに
とりあえず今(8/17)の気持ちを書き留めておきたいと思います
また映画を見て、小説を読みなおしたら書き直したりいろいろ気持ちを整理したいですね
映画も小説も面白くてとても満足でした
来年のアニメ化も結構楽しみです
8/27追記
やっぱり2回目を見ても、いい映画だったと思います
原作のストーリーと比べながら見るのも、味わい深いですね
恋愛映画のようで、恋愛ではなく
自分の殻を破って、自身が望む自身になる
そのために毎日を精一杯努力する
という思春期の人にとっては、すごく重要なメッセージが込められていて
心を打たれますね
26のおっさんが何言ってんだって感じですけど