今日も独りで立ち話

ポンコツ博士課程の院生が思ったことをそのまま書くブログ

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学振に二回も落ちたので反省文

 

「学振」というのは正式には日本学術振興会の特別研究員制度のことで

なぜか寛容的に略して呼ばれています

 

 

M2のときに申請するDC1とD1とD2のときに申請するDC2と2種類あって

めでたく採用されると月20万円の支給と年間でいくらかの研究費がD3の終わりまで支給される非常にすばらしい制度です

 

ただし、採用基準は厳しく、申請分野のだいたい上位2割くらいの人しか採用されません

 

通った人は研究エリートとして、生活費の心配をせずに研究活動に専念できるだけでなく、学振に通るほど優秀な人物であるという、ある種の箔もつけられます

 

学振に通るかどうかは、その後の博士生活を大きく左右する重要なイベントなので

学振でぐぐると、「採択されるための書類の書き方」を説明だったり、通った人の経験談はたくさん出てきます

 

アカデミック、企業を問わず一人前の研究者として活躍できる素地があるかどうかの試験紙でもあるので、皆必死に申請書を書いてなんとかその栄冠を勝ち取ろうとしているわけです

 

で、僕はと言いますと

今年も無残にも学振に落ちました

しかもDC1から引き続き、非常に悪い評価でした

 

さすがに次がラストチャンスなので、申請書を見返しつつ反省文を書いておこうと思います

 

1月に1回くらい、今回書いた文章の中身を眺めて

どこが悪かったのか考え直そうと思います

 

 

 

大事なのは自分に価値があると思わせること

 

学振はお金を出して人材を育成するわけで

要は将来の日本の科学界への投資をしているわけですね

 

だから、雑魚にお金を使うわけにはいきません

 

こいつは伸びそうだからお金を使う価値がある

 

審査員にそう思わせないといけないわけです

 

 

評価項目として

研究者としての将来性、研究実績、研究計画

の3点で評価されます

 

研究実績は過去に出した論文数や、参加した学会数、賞の有無のほか

主席卒業とか大学によっては飛び級とかも考慮されているとは思います

 

しかし、ない実績は増やそうと思っても、すぐにどうこうできるものでもないので

研究計画を頑張るしかありません

 

そして、おそらく研究者としての将来性は最後の自己アピール欄だけではなくて

研究計画の出来栄えと研究実績の印象が大きく影響されていると思います

 

申請書はおそらく実績→研究計画→自己アピールの順で読まれるはずですが

自己アピールはよっぽど何か特殊な経験談でもないと基本的には内容の評価は大差ないと思っています。

むしろ、研究計画欄がぐっちゃぐちゃだと悪い印象を与えてしまうので、その時点で研究者失格の烙印を押されてしまっている気がします

 

 

ということで、次に向けて取り組むべきこととしては

「最初の研究概要欄を死ぬ気で改善すること」でしょう

 

・・・まあ、極めて当たり前の結論なんですけども

 

 

良い申請書は読み物として面白い

自分が所属している大学は1流大学というわけではないですが

研究室からは過去に何人もDC1もDC2も採択されています

今年も自分ではない人がめでたく採用されています

 

だから、大学の知名度が高いほうがいいとか、研究室のコネがあったほうがいいとか

あることないこと噂が流れていたりしますが、基本的には実力がまっとうに評価されて判断されているのは間違いないでしょう

 

幸い通った人の過去の申請書を持っているので

その人たちの申請書を改めて読み込んでみました

(去年も今年も過去のサンプルはあったのに全く活かせてないですが…)

 

通った人の申請書を改めて読んでわかったのは

 

知識がなくても読んでいてわくわくする内容であること、もっと先を読みたいと思わずにはいられない内容であること、予定している実験内容が確かに必要だと思わせること

 

でした

 

だから、過去の通った申請書を読むのは、基本的には苦痛ではなかったですし

むしろ、こんな考え方やアプローチがあるんだと楽しく読み終えてしまいました

 

 

これは審査員の目線から考えても同じようなことが言えそうです

読んでいて興味が惹かれないものを、敢えて読み込んで良い点数をつけようとするでしょうか

 

当然、答えはノーでしょう

 

エンターテイメントに富んだ申請書を書く必要はないと思いますが

研究を知らない人でも読んでいて面白いと思えないものは、どのみち評価が低くなってしまいそうです

 

同じ理系ではなく、むしろ文系の人が読んでも面白いと思えるくらいまで、明快に書くべきなんでしょうか…

 

 

 

ちなみに実績はバラバラでした

ファーストで1本論文がある人はDC1で採択されていましたし

セカンドで1本、学会参加多数みたいな人も採択されていました

 

DC2だともう少し実績が重視されていて

ファースト1本だと不安、2本はあったほうがよさそうで

学会参加数は結構多い人がほとんどでした

 

 

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余談

DC1では、研究概要欄が丁寧に書かれておらず、専門用語満載でその道の人しか書いてある内容がわからない感じで、実験計画がかなりスカスカの人でも採択されていました

 

その人が他の人と違ったのはDC1申請の時点でファーストで論文を2本投稿しており

参加した国際学会、国内学会数が非常に多く、賞も1つもらっていたということ

 

正直な感想を言うと、この人の申請書は実績欄を見ていなかったら、落ちた人の申請書だと見まがうようなものだったのですが

それでも採択されているということから、研究において実績がいかに大事かということを再認識させられました

 

実際の評価点はわかりませんが、実績が多いおかげでスカスカな研究計画でも

「こいつならちゃんとやって結果を残すだろう」という感じで、自然と説得力が出ているんだろうと思います

 

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なぜ面白くない申請書になるのか

 

では、今回私が書いた申請書はなぜ面白くならなかったのでしょうか

 

「面白い」と思われるまでに2つの壁があるんじゃないか

 

それが色々考えた末の今回の結論です

 

 

つまち

 

理解できる→意義がある→面白い

 

という基準を超えていかなければいけないということです

 

 

理解できる

これは単純に

今まで何をやってきて、これから何をしようとするのか

何が問題で解決策は何か、どこが独創的か

 

といった申請書で書けと指示されている内容が

きちんと書いてあると審査員が理解できる文章にするということです

 

申請書を書いた本人からすると

全部きちんと書いたし、読めば当然伝わると思っていても

第三者からすれば、全く何を言っているかわからないという状況になりがちです

(少なくとも自分の場合は)

 

専門用語を多用しすぎて、何の話かわからなかったり

前提の話が不足しすぎて、なぜそんなアプローチになったのかわからなかったり

 

といったことが多々ありました

 

これは本来、指導教員に添削をしてもらえば直るはずなのですが

僕の稚拙な文章表現の癖に先生方が慣れてしまったことや

そもそも研究内容や今後の予定をある程度理解しているために

初見の人がつまづくポイントを先生方も明確に指摘できない(そもそも自分で直せという話ですが)ことで、こういった状況になっているのでしょう

 

これは直せない教員が悪いと責任転嫁をしたいのではなくて

指導教員が見ても完璧ではないから、自分自身で注意深くセルフチェックを繰り返し行いブラッシュアップしていかないといけないという戒めです

 

添削してもらったからというある種の甘えが自分にあったことは否定できないですし

 

 

意義がある

意義があるというのは

それが社会問題や日本の科学の発展の役に立つということと同義です

 

この研究が進行することで、こんなに良いことがあるのか、と審査員に思ってもらえなければいけません

 

つまり、「なんでこの研究をする必要があるのかわからん」と思わせてはいけないということです

 

ただし、これは自分が工学系であるというのも大きいでしょう

理学系だとまた違って、趣味全開でいっても通っているのかもしれません

 

独りよがりな趣味で興味があるからやりたいんです、というのは

一部の大天才なら許されるのかもしれませんが、自分のような凡才未満の人間がやると顰蹙を買うだけですしね

 

過去の知見と未来の出来事のうち

自分はどの部分を橋渡しするのか、ということを審査員がはっきりとわかるようにするべきでしょう

 

面白い

 

何をして、何を解決するのかわかって

そこからさらに興味を惹く方法は現在はわかりません

 

研究の発想やアプローチが一風変わったもの、これはすごいと思わせるようなものであることが必要になります

 

 

「これは新しい、すごいことだ」

そういう感情を揺さぶることができる研究テーマの設定方法を

早いところ見つけ出さないといけないですね…

 

申請書は一本筋を通して明確に

 

「面白い」と判断してもらえるためには

まずは申請書をちゃんと読んでもらえるようにしないといけません

 

ちゃんと読んでもらうためには、読んでいる人に疑問を持たせてはいけません

疑問を持つとそこで思考を始めてしまうので、読み手側の負担になってしまいます

 

また思考しだすと、内容に猜疑的になったり細かい粗が気になりだすかもしれません

 

それを防ぐには内容の柱をしっかりと自分で定義し、認識して

その内容に論理構成的に矛盾がないようにしつつ、必要最小限の内容を盛り込むしかないでしょう

 

 

一部、内容が重複しますが

疑問を持たせないためには

過去現在と未来の内容をしっかりと分けて

 

何がわかっていて、何が問題で、何にどう取り組んでいるのか

それを踏まえてこれからどうするのか

 

 

ということを、きちんと理解できるように書かないといけません

 

 

過去現在の話は、研究がなぜ必要であるかということやどうアプローチしているのかという自分の研究の土台を説明する箇所なので、ここで疑問を持たれると後の内容すべての説得力がなくなります

 

それに対して、未来に何をするのかという部分では

現状までを踏まえてどう改善していくのか、それはどう役に立つのか

ということを、しっかりと説明しなければいけません

 

「理解できる」「意義がある」か判断されるのは過去現在

「面白い」か判断されるのは未来

 

の内容なので、そこを意識的に書くようにしようと思います

 

 

 

夢を語るが妄想はダメ

 

自分が未来を書くにあたって失敗したなあと実感しています

 

当然、面白いと思ってもらうためには現実を見すぎて小さくまとまらないほうが良いとは思います

 

だから、ちょっと夢を語るくらいがちょうど良いと個人的には思っているのですが

自分の場合は、夢を通り越して妄想になっていました

 

 

例えば

Aというナノ粒子を作るのが特異な研究室で研究をしているとして

 

通常は100 nmの大きさのものを1 nmで作製できるということが現在わかっています

 

 

 

「一般的には100 nmの大きさのものしかなかったが、この手法なら1 nmの大きさで作製できます。今後はさらにナノ粒子のサイズも制御して特性を制御します。それを使ってサイズを変えて多層構造にして太陽電池を作製し特性を調べます」

 

 

 

という感じの計画を立ててしまいました

 

 

 

この計画のまずい点はやる内容が無駄に多いのもそうですが

 

サイズ制御をすると特性もそれに応じて変わるだろう

という推測に基づいて

 

それを使えば太陽電池の効率も変わるだろう

という推測を立てていることです

 

 

明らかになっていないことを前提として、計画を立てるのはよろしくなかったんじゃないかと、反省しています

 

なんとなく地に足がついておらず、一足飛びに何か目立つ結果を残したいという意識が強すぎる感じがありました

 

 

だから計画も

 

「Aという物質のナノ粒子の大きさは一般的には100 nmだけど、これを1 nmにします。今後はこの作製方法における形成メカニズムを調べます。さらに太陽電池を作製し既存のものと比較します。」

 

 というように、現時点からの延長線上でかつ実現可能性が高いようなものにすべきだったと思います

 

 

終わりに

 

これはひたすら学振に低評価で落ちた人間の反省文なので、間違っている箇所が大いにあると思います

 

まあこの文章自体が、本当に駄文なので

こいつみたいなことやってたらダメなんだなと、嘲笑するくらいにしといてください

 

ちなみに

学振申請書の書き方とコツ DC/PD獲得を目指す若者へ (KS科学一般書)

学振申請書の書き方とコツ DC/PD獲得を目指す若者へ (KS科学一般書)

 

 

この本をDC1申請のときから読んでいるのですが

結果から顧みるといまいち活かせてませんね…

 

本自体は本当に役に立つ内容しかないはずなのに

使い手がポンコツなのが悪い…

 

おわり