「ケータイ」という言葉は死語になってしまったし、いまどき二つ折りの昔ながらの携帯電話を使っている人はあまり見かけない
かつてのケータイはガラケーという名前が付けられ、時代遅れのものとして認知されるようになった
アップルのiPhoneの登場によって、スマートフォンの存在は見直され、その後爆発的に普及していった
スマホが出た当初は、タッチパネルなんて使いにくいし、「俺はこのケータイで十分だ!」なんて思っていたけど、今となっては欠かせないアイテムへと昇華している
スマホの出現は社会における携帯電話の概念を大きく変えてしまった
だからこそ、iPhoneの出現は真にイノベーションだと言えるし
それを生み出したスティーブ・ジョブズが神格化されるのもわかる
スマホが普及して、人々の生活様式は大きく変わった
その要因はいろんな人が研究しているだろうし、多くの人が体感してきたことでもあるので、ここではあまり深くは考えない
スマホは非常に高性能で、文字通り「スマート」だから
ネットも見れるし、音楽も聞けるし、ゲームもできるし、当然電話もメールもできる
それはガラケーでもできたことではあったけど、スマホはパソコンと同じように使えたことが大きい
iモードにつながなくてもいいし、着うたフルで音楽をダウンロードする必要もないし、ドット絵の単純なゲームだけじゃなくて、CGを使った本格的なものもあるし、アプリの種類が豊富だから電話もメールだけじゃなくて、いろいろなことができる
スマホの普及に伴って、アプリ開発は盛んになり
人々の暮らしはより便利になっている
日本で最も成功したアプリはなんだろうか、と考えてみると
答えは簡単だと思う
そう、「ライン」だ
今は誰もかれもが連絡を取るのにラインを使っている
スカイプのように通話もグループも作成できて
スカイプよりもチャットが気楽で楽しい
世に出てきた当初は、ネットでは様々な批判や中傷、持ち上げなどいろいろあったけど
その連絡の手軽さとグループを作って遊ぶのが大好きな日本の若者との親和性は高く、あっという間に使っているのが常識のアプリとなった
スカイプの存在によって、かつての電話回線はオワコンになり
ラインの出現によって、それに加えてメールのオワコン化が進んだ
電話だけでなくメールまでもオワコン化したのは
日本の若者にとって、メールはメールとしての利用よりも
チャット的な利用の方が主だったためだと思う
(自分もそうだったし)
ラインで連絡を取り合うのは気軽で便利なんだけど
メールを送っていたあの頃も、不便なところはあったけどそれはそれでよかったなあと思う
特に、好きな女の子に特に用もなくメールを送って雑談するときは非常に神経を使った
ラインは短文を送って、適当にスタンプをポンって感じだし、チャットに近いからすぐ返信してって感じの軽いノリの連絡手段だと思う
一方でメールの場合は
顔文字・絵文字を使うか?
一回の文字数はどれくらいにするか?
どんなテンションで書くか?
返信のタイミングはどうするか?
など、いろいろ考えることが多かった
これは個人差が大きいんだけど
絵文字・顔文字が入ってないと怒っているみたいでいやだという子もいたし
一回のメールの文字数が多いとキモイという子もいたし
逆に回数重ねるのが面倒だから、一回で送ってこいという子もいたし
男の返信が早いとキモイ、または返信が遅いとイライラするなどと二極化してたり…
今の高校生もラインで同じようなことを気にしてるのかもしれないけど
とりあえず自分が高校生の時はそんな感じだった
特に親しくなりかけぐらいの間柄だとここら辺の押し引きが難しくて
好きな子の友人に普段のメールの感じはどんな感じか聞いたりして嫌われないように注意した
ラインは一緒に何かした機会があれば、グループから申請できるんだけど
メールの場合はアドレスを聞く必要があった
それが一苦労で
どういう口実でアドレスを聞くのか、というのも悩みの種だった
好きな子とメールで楽しく喋りたいと思っても
アドレスを知らないとにっちもさっちもいかなかった
(電話料金は非常に高かったが、パケホーダイ(死語)ならメールを無限にすることができた)
リア充は友達に教えてもらう、という方法が使えるわけだけど
そこそこ学校で話すくらいの間柄だと
アドレス聞いてどうするの?
直接聞いたら?
とか言われたりもして、人のアドレスを他人に教えるのは本人に直接聞くよりもハードルが高いことがしばしばあった
今、振り返ると「まずは学校で仲良くなるのが先だろう」とは思うんだけど
当時はいわゆる日陰者だったし、クラスも部活も違って全然接点がなかったし
人目を異常に気にする性格だったから、直接話に行く勇気はなかったw
自分の場合は、好きな子の友人とそれなりに仲がよかったのもあって
一緒にテスト勉強をする機会を作ってもらって、その流れでアドレスを聞いた気がする
赤外線通信(完全に死語)でアドレスを交換しているあの時間は
とうとうアドレスを教えてもらったという高揚感とドキドキと緊張感で変な汗が大量に噴き出していたのを今でも思い出せる
そうして、なんとか初メールを送る機会が訪れるわけだけど
上述した通り、非常に頭を悩ませた
友人に相談しながら、メールを打って、送信ボタンを押して
「メールが送信されています」のバーが100%になるのを不安と期待に満ちた心で見守っていた
そうして初めて返事が来た時の喜びは格別なものだった
メールは送ってから返事を返すタイミングが人によってまちまちだから
今か今かとケータイを見つめて返事がくるのを待って
ラインみたいに返事は画面に浮かんでくるわけでもなくて
バイブレーションを合図にしてたから、ぼーっとしてたらケータイが急に震えだして好きな子からの返事かと期待したら、別の人からでがっかりして
その人に返事を書いてたら、画面がメール受信中になって、好きな子からの返事が返ってきたりして
返事がなかなか返ってこないときは、メールセンターに問い合わせを連打したりして
たいていは何もないんだけど、たまーに受信ミスでメールを受信できてなくて、急いで返事を書いて送ったり
あの返事を待つあの変な緊張感は苦しくもあったけど、楽しくもあった
メールはラインよりもいろいろと敷居が高かったし、不便なところも多かったけど
その敷居の高さが逆に超えられたときの喜びは大きくしたし、不便だからこそわくわく、ドキドキ感が強くなってたのかな?
もう今ではそういう青春は体験できないんだけどね
よく考えたら、ライン使ってる今でも
初めてラインを送るときはすごく緊張するし
単純に自分のコミュ力が低すぎて、無駄に疲れていただけかもしれない
携帯電話もアプリも連絡手段も進化してるのに
メンタルとコミュ力が高校生のときから何も変わっていない…
なんてことだ…なんてことだ…
コミュ力を頑張ってつけて、気楽にデートを誘えるような人間になります
たぶん
おわり