誕生日とかいう節目を一応迎えたので、今後の人生設計を考え直すことにした
そのうえで、学振を三振したことは大きな分岐点になったので、備忘録として残しておくことにしようと思う
筆者はM1の2月、ちょうど就活の準備をしているころに進学を決めたので、どっちかというと進学に関する準備は遅いほうだとは思う
初めから進学することを決意し指導教員に伝えていれば、もう少し学会発表とかさせてもらえたかな、とかいろいろ後悔はある
もちろんM2で進学を決めて、DC2通る人もたくさんいるので、結局は言い訳なのだけれども
以前、DC2に落ちたときの反省日記である
今振り返っても、改善の方向性自体は悪くなかったとは思うけども、結果は不採用Aだった
不採用C→不採用Cときて、大幅に向上したとはいえども、結局は通っていないし、次のチャンスもないので、この不採用Aには意味などない
D2で出して面接にもかすってすらいないので、現時点での自分の研究者としての能力は下位50%に属することが確定してしまった
本当はアカデミアの研究者として頑張りたかったのだが、学振も通らない、論文も出せてない、英語ができるわけでもない、の虚無のワルツが鳴り響いているので、自分の気持ちにけりをつけて、夢をあきらめるために今までの研究生活を振り返りながら、反省をしていこうと思う
ちなみにこの記事を書こうと思ったのは
ほとんどの人がDC2で通ったとか、DC2二回目で通ったとか、DCダメだったけどPD通ったといったポジティブな情報しかないので、学振を三振して完全にアカデミアの道が破綻した人の記録を残しておこうと思ったからである
DC1を通せるかどうかは色々な運要素が大きい
DC1で通るかどうかは、正直なところ運の要素がかなり大きいと思う
もちろん、能力があってちゃんとやっている人は普通に通るので、落ちた人間の負け犬の遠吠えではあるが
通るか通らないかを決めるTスコア0.2点分くらいを勝ち取れるかどうかは実績に大きく左右される
「DC1は実績を重視されないし、実績がなくても通る」
とは言うものの、「ない」の程度が分野によって違うのでネットの情報を鵜呑みにはできない
実績を作れるかどうかは「研究成果」に大きく依存する
「研究成果」は説明不要だと思われるが、DC1で論文を実績として挙げる場合、M2の5月には論文として出版されていなければならない
そこから逆算すると、自分で書くにしろ指導教員が書くにしろ、遅くともM1の秋ごろには論文執筆活動を開始し、冬には投稿を済ませないといけない
M1の秋までに論文となりうる結果が得られるかどうかは、本人の努力でなんとかなる部分もあるが、それ以上に卒論研究で与えられたテーマと研究が幸運にもうまくいくかどうかといった要素のほうが大きいように思われる
先輩からテーマを引き継いだ場合は論文化までは割と近いだろうし、逆に全くの0から始まった場合はどこまで進められるかは不透明である
卒業研究のテーマを自分で考える研究室ではなく与えられる研究室では、初めにどのテーマが与えられるかどうかが、その後に大きく影響を及ぼすことになる
0から自分の力だけで進めるテーマは楽しいしやりがいはあるんだけど
上の学年のテーマから派生したテーマのほうが結果が出やすい
そういう結果の出やすさの差が後々実績の差として重くのしかかってくることになる
もう一つの「研究室の文化」は主に学会発表の実績に影響する
筆者が所属する研究室では博士課程を除くと、論文化できる(=外部に胸を張って発表できる)データが十分集まった学生しか学会に参加しない
したがって、どんなに実験を行っても明確な成果が得られない限り、学会発表をすることはない
私の所属する研究室では平均すると4年生~M2の3年間で1回口頭発表をするかどうか、くらいの参加頻度である
もちろん何回も発表する学生もいるし、一回も学会発表をしない学生もいる
さて、自分のところはこんな感じだけど、研究室によって学会に対するスタンスは全く異なっている
ある研究室では卒論発表の内容と全く同じ内容で某化学会の年会に参加しているし、小さな学会もバンバン参加させている
もちろん、この学会に対するスタンスはどっちも良し悪しがあるんだけど、書類上の実績を増やすという観点からすると、後者の研究室のほうが実績は増えやすい
学会参加の評点はそんなに大きくないとは思うけど、10回出た人と、0回の人では積み重なったときに大きな差になるのは明らかである
年々、DCの実績の要素は重要視されなくなったとは言っても、あればあるだけ有利なので、他の要素が通るかどうかのギリギリだった場合は、ここの部分が生死を分けるのである
以上のことから、DC1には研究結果と研究室文化かの2つの運が絡むと考えている
筆者のDC1の結果(2016年)
筆者は卒業研究のテーマの進捗が全く芳しくなく、ろくな結果を残せなかった
今、あの当時に戻れれば、ちゃんと結果を出せるアイディアがあるんだけど、その当時ではがんばったけど無理だったのである
あまりにも成果が出ていなかったので、修士にあがってすぐディスカッションを行うことになった。自分はどうしてもやってみたい、それまで自分で論文を読んで温めていたアイディアがあったので、それを説明したところ快諾してもらい新たなテーマとして始めることになった
先生のほうでもテーマを考えていたようで、結局M1のときは自分で考えたテーマ(A)と先生が新しく用意したテーマ(B)の2つを同時に行っていた
修士にあがって1年が経ち、DC1の季節である
(A)は実験を繰り返すうちに、当初の予定をその手法で達成するのは難しいだろうということが明らかになってきており、(B)はそれなりに順調に進んでいた
そこでDC1は(B)で書くことにした
このテーマ自体は先輩の実験系の派生だったので、結果は割と出ておりテーマのハンデはなかったのだが、いかんせん1年分しかデータがないため実績は皆無だし、また自分の勉強不足もあり申請書の出来はお粗末なものだった
結果:不採用C
当時の実績
論文:0 国内学会:ポスター1 特許等:なし
申請書の出来からすると思ったより高いものの、想定していたよりはかなり低いTスコアとなった
合格するには3.5点を取らないといけないということを考えると、実績以外のところを相当頑張っても採択は厳しかったように思う
DC1に通った先輩後輩の実績を見ると
ファーストで論文1本以上→全員採択
セカンドで1本→半々
国際学会→比較的多い
国内学会→最低でも口頭で2回、ポスターで2回くらいは参加
という感じだったので、それと比較すると自分の実績が相当まずいことは明らかだし、事実Tスコアも低い
自分の出した分野では、最低セカンド1本はないと土俵にすら上がれない感じはする
挑戦のDC2
DC2で通るかどうかは修士の間の頑張りが一番大きい
自分のように0から研究を始めても、努力次第では論文化可能だからである
進学を決意したのがM2になってからで、論文化は全く意識していなかったという場合はきついかもしれないが、そうでもなければ十分逆転可能だと思う
DC2はD2との勝負でもあるので、実績で差がつくこと可能性が高いので
セカンドでも勝負にならないことはないとは思うが、ファースト1本をM2の間になんとかねじ込むことは本当に大事だと思う
自分のように論文0本の場合は、よほど卓越した人物でもない限り、出しても勝算はほぼ0だと思われる
筆者のDC2結果(2017)
大惨敗をしたDC1の結果を眺めながら、修士論文に結果をまとめ、その内容で論文を書き始めることになった
しかし、本来は秋ごろから始める予定だった論文執筆の目途が、結局修論後までずれこんだということもあり、DC2には当然間に合うはずもなかった
したがって、実績はDC1のものに学会発表が数件増えただけである
申請書自体は割とうまく書けたという感覚だった
実績は全く足りていないので今回も厳しいとは思ってはいたが、他の部分はそれなりに評価されるだろうと信じていたのである
後輩がDC1に出すということで、できれば申請分野を変えてほしいと頼まれたので、今までとは別の分野に出すことにした
また博士にあがったということもあって、(A)をいったん保留して、新しいテーマ(C)を始めることになった
結果:不採用C
当時の実績
論文:0 国内学会:口頭1ポスター3 特許等:なし
なんともまあ、ひどいスコアである
理学っぽい分野に出したせいもあるが、点数がDC1のときよりも軒並み低い
実際、今読み返すと、DC1の申請書と同じレベルかそれ以下の出来であった
当時はなぜあんなに自信を持っていたのかわからない
これで完全に自信を消失し、研究者として生きていく決心が大幅にゆらぐことになった
もうツーアウトまで来てしまったので、申請書の書き方や研究への考え方などを改めることにした
当時の自分は先のことを空想しがちだった
何か全く新しい͡コト、誰もできていないことをやってやろう、という方面に意識が向きすぎていた
そこ実際に結果と評価が伴っていないので。自分では面白い・楽しいとは思えなくても
狭い範囲で物事を成し遂げる方向性に意図的に矯正した
(本来は1歩ずつ事実を明らかにしていくのが研究なので、今までがずれすぎていたとも言える)
背水のDC2
ここまで来たら、普通は通る
以前、採択割合を大雑把に見積もると、DCに出し続けた人のうち半分は採択される計算だからである
だから、DC2でも通らなかった人はよっぽど運が悪いか、テーマが3年という期間では短すぎるほど難解だったか、申請書を書くのがめちゃくちゃ下手か、自分のようにアカデミアで生きていくには能力が完全に足りていない、かのどれかだと思われる
研究というものに4年携わって、全く目が出ていないなら、それはもうそういうものとしてあきらめるしかないと思っている
今回は意地でも申請書を通すために、自分の信念を捻じ曲げて、思考プロセスをがらっと変えて、戦略的に申請書を書き上げた
申請書の出来栄え自体は自分でも納得いくものだったし、指導教員も「このテーマでこの構成だとよく書けているんじゃないか」と言ってもらえる出来栄えだった
これでだめならもうおしまいだし、やれることは全部やった
後は申請して結果を待つだけである
筆者のDC2 2回目の結果(2018)
結果:不採用A
当時の実績
論文:ファースト1 国際学会;口頭1 国内学会:口頭3ポスター6 特許等:なし
研究計画だけが、目標の3.5点を下回っている
ここが3.5点だとしても、その後の圧縮で採択ラインを割る可能性が高そうだけども、ここが足を引っ張ってしまった
今振り返ると、確かに研究計画は他の部分に比べると、具体性が詰め切れていなかったように思う
計画の緻密さが足りていなかった
正直、ファーストでもう1本書いておかなければいけなかった
実際は時間的・成果的にもう一本はかなり厳しかったのだが、修士で努力できなかったツケがここまで回ってきたまま、挽回できなかったというのが実情だ
その時、その時でやれることはやってきたが、「十分やった」のラインが他の人よりも甘めに設定したのが全ての原因だと思う
もう1段階、2段階レベルアップして研究を効率的に集中して行わなければいけなかった
最後まで、今現在ですらも実験量を増やすパワープレイ以外で乗り切る手段を持っていないのがまずい
論文執筆から逆算して、実験計画を立てて、適宜論文化しながら、うまく実験するスキルをとうとう身に着けられなかった
本来はそのスキルを身に着けるのが、目的で博士に進学したにも拘わらず、楽しくて苦しいだけの時間をただ無為に過ごして、無駄に年齢だけ重ねてしまった
三振した今の心境
やりたいことではなく、できることを探して
「残りの人生の目標をどうするか」
「そもそも研究を続けるのかどうか」
「無理だとわかっていてもポスドクを探すのか」
とか、いろいろ考える必要があった
正直なところ、ポスドクを探してアカデミアで頑張りたい
でも、自分の能力・研究活動そのものへの姿勢はアカデミアに残ることができている先輩や先生と比べると、圧倒的にいろいろなものが足りていないのを突き付けられる
学振を三振でスリーアウトの先に、何かあるとも思えない
スリーアウトでも、結局研究者として成功している人はいるけども、そういう特例を見ても仕方がない気もしている
統計データを見たわけでもないから推測になるが、期限なしのパーマネントポジションを取った人のほとんどは学振を取った人たちではなかろうか
「学振が全てではないし、それにこだわるのは視野が狭い」と以前ツイッターで言われたけど、採択人数が多い分野で学振すらも通せていないのに、自分が研究者として能力があると信じ込めるほうがどうかしている気がする
数少ない友人にも言われたことはあるし、自分でも自己肯定感は低いと思う
「俺を落とす見る目のないジジイどもの目が腐ってるんだ」くらい言えたればよかったのだが、他人(社会)の評価も自分自身で納得できる研究成果もなく、世間知らずな無鉄砲さも失った今では、自分が研究に携わって生きていくことに不安と恐怖を抱いている
研究が好きだし、そのために努力もできると思っていたが
「そもそもスタートラインも立てる能力が備わってないんじゃないか」
と考え出すと、自分は研究者として生きていくんだ、と進学前に志した想いが少しずつ崩れてきたのが今の心境である
ただ、アカデミアで生きている人たちを見ていると、自分が良ければ他人がどう思おうがそれでいい、という「自分自身という柱」が強い人しかいないので、そもそものメンタリティ的に自分ではアカデミアは不可能だったのかもしれない
今の心境では企業でも研究していける能力はないんじゃないか、と思ってしまうので文系就職も考えているが年齢的に現実的ではないだろう
現在の進路候補としては
1.とりあえず適当にメーカー企業に就職する
この際、分野とかはこだわらない
勤務地の関係上、研究職で行くのがよさそうなので研究職でいくつもり
(営業では性格的にも年齢的にも取ってもらえないだろうし、技能的にも研究でいくしかない)
2.公務員
自分の中では割と可能性が高い選択肢
別に公務員が楽だとは思わないけど、研究っていう目標が失いかけている今は、思いっきり研究から離れる選択肢もありかなって
3.ポスドク
心情的には一番やりたいけど、客観的に見たら絶対ありえない選択肢
まだまだやり残したこととか気になることもあるし、やってみたいこともある
別の研究室で新しい技術を獲得して、新しい分野に挑戦してみたい気持ちもある
ただ自分がポンコツ過ぎてボスから推薦してもらえる可能性はほとんどないし、PD出そうにも受け入れてくれる研究室ないし、仮にポスドクになってもその先に何かがある未来も見えない
自分としては、ここまで来たし人生賭けてギャンブルしてもいいかなとは思う
すなわち、ポスドク探してなんとか頑張ってうまくいけばポストゲットダメなら野垂れ死にルートである
大学受験も滑ったし、学振も滑ったし、人生も滑って、貧困フリーターのおっさんに最終的になってもいいかとは思うし
結婚願望とか微塵もないし、子供も欲しいとは思わないから、自分が生きていけなくなった時に、安楽死のシステムが導入されてれば、それを使おうかなと思っている
その反面、やりたいことをあきらめて、企業に就職して、普通の人生を普通に生きていくのもありなんじゃないかとも思う
別に企業が楽と言うつもりはないけど、自分が人生で唯一やりたいことが、アカデミアで自分のやりたいことを研究するということだったから、その目標がなくなるのは生きるモチベーションが無くなることでもあるので、どうしようかなあという感じ
本来、博士は就活解禁時期とか関係ないらしいけど、情弱なので周りと同じように3月から就活始めます
とりあえずエントリーシートとかは書くけど、自分のなかでどうしたいのかは決まってません
結局、学振に通った通らないのではなく、このメンタリティが全部悪いんだよね、知ってる
でも、どうしようもないんだよなァ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~