これを読んでいる人の何割がこの言葉を実際に親から浴びせられたかはわからない。
自分の場合は、父親は気に入らないことがあるとこの言葉をよく言っていた。中学の時は2日に1回は聞いていたんじゃないかと思う。
今もなお
この言葉の意味するところも、何が言いたいのかもわからない
誰のおかげって言われても
「お金を稼いでいるお父様のおかげでございます。本日もお金を出していただき、そしてそのおかげでご飯も頂くことができます。度重なるご迷惑をおかけしておりますが、今後とも私を育ててくださるようお願い申し上げます。」
とでも言ってほしかったんだろうか。
正直、この言葉を言うくらいならそのときに自分のことを殺してほしかった。
実際、「なら今すぐ俺のことを殺せ。」あるいは「誰も産んでくれなんて頼んでない。」みたいなことも言ったことがある。
こう書くと、自分は反抗期がひどくて厨2病の少年のように思われるかもしれない。
厨2病は否定しないが、反抗期に関しては全くなかったと自信を持って言える。
親に理不尽に反抗することもなかったし、言いつけは基本的に守っていた。
部活もやっていたし、成績も優秀だった。
それでも、ここまで親子関係がこじれているのは父親との折り合いが絶望的に悪かったせいだ。僕自身が生意気なのもあるが、父親がいわゆる毒親なのもある。
「育ててもらっているんだから親に感謝すべき」とか言う人は幸せな家庭で暮らしてきたんだろうなあ、と思う。
自分は感謝したい気持ちはあったのに、それを上回る憎悪で心が包まれてしまったから。
だいたい育ててもらっているとは言うけど、僕は育ててくれるよう頼んだ覚えはない。
祖母のもとに養子に出してくれ、という僕の願いを断っておいて、なぜ攻められる必要があるのか
気に食わないなら殺してくれてよかったし
中学までは学校に行くけどそれ以後は中卒で働きます、という申し出をしたら殴られた
売り言葉に買い言葉とかではなくて、本気で死ぬことは検討していた
ちょうど自殺ブームだったのもあるが、練炭自殺の方法や首つり自殺の方法はシミュレートしていた。
あの当時から、生きていることにありがたみを感じなかったしいつ死んでもいいと思っていた。
ところどころ生きる目的が生まれてしまったために、今もなお死に損なっている。
ただあの当時は自殺するには区切りが非常に良かった。失敗したら死ねばいいや、という思考がこびりついてしまったのもあのころだ。
話が脱線したが、「誰のおかげ~」という言葉は最低の言葉だなと思う。
親のエゴで勝手に作って勝手に怒られてもたまったもんじゃない。
死んだらいいのはその通りなんだけど、意識が芽生えてしまった以上、自殺をするのははっきり言って怖い。
今でも安楽死できる方法を国が導入してくれるのを心待ちにしているけど。
意識が芽生えた以上は生きざるを得ない。社会的に無力な状態だから親の言うことを聞かざるを得ない。
結局、父親が求めているのは親子関係ではなかったのだ
後々わかったことだが、父親が求めていたのは自分を頂点とする服従関係だった
父親が頂点で、母親がその下、子供は奴隷だった。
肉体的には不自由はないけど、精神的には窮屈でしょうがなかった。
僕だって普通の家庭で、親を尊敬して、たまに怒られるけどそれは子供のためのしつけで、兄弟は仲良く、笑って暮らしていけるような幸せな家族のもとで過ごしたかった。
思えば父親が「誰のおかげ~」という言葉を使い始めたのは、僕が中学生になってからだ。
理由は簡単で、今までは暴力で支配できていたが僕の体が大きくなって反撃されるようになったからだ。
僕の体が父親よりも大きくなって、単純な肉体のパワーで上回るようになってから、この言葉を使い始めた。
客観的に見たら、小さい男だな、と憐みの感情も浮かんでくる。
子供ではどうしようもないことを持ち出して、言うことを聞かせようとしてくる様子には話合おうという姿勢すら見えなかった。
ちなみに僕自身は、話し合いで問題を解決したかった。
話し合ってどっちが悪いとか、そういう理性的な決着をつけたかった。
僕が悪いなら僕の非を認めるし、父親が悪いなら「俺が間違っていた」という言葉を聞きたかった
父親がいちゃもんをつけて怒る理由は、だいたいしょうもないことだし、今考えても100%父親が悪いことのほうが多い。
父親に完全に非しかなくて、それに反論して口で勝てなくなったら、「誰のおかげで~」という言葉が出てくるのが常だった。
そうなると、ああこの人は自分に向き合う気がないんだな、と悲しくなった。
そして自分の非を頑なに認めずに、権力で支配しようとする姿勢に幻滅した。
ちなみに父親の100%非がある状況の例としては
僕の部屋に父親が入って物を落として壊したことを尋ねると逆切れ
昼ごはんは食べたからいらないと言っているのに、勝手に作ってたべないとキレる
金曜日に夜遅くまで勉強しており、土曜の朝はゆっくり寝ようとしていたら起こしに来て、起きないとキレる
みたいなしょうもない感じ。
今思い返しても、なんで怒られるかわからんわ笑
高校以降は父親の言うことに全く反論せず、かつコミュニケーションをとることを徹底的に放棄した。
平日は日付が変わる直前まで、塾に滞在し(必ずしも勉強していたわけではない)
休みの日は部活に出かけ、午後は自主練習をし、夜は塾に通うことで
接触する可能性を下げることにした
父親とやむを得ず話す必要があるときは、父親の喜びそうな息子像を演じた。今もなおその姿勢は貫いている。
お金を出してもらう代償として、父親の理想の家族像を演じてあげることにした。
こう考えることで、自分自身かなり楽になった。
家族ではなく、お金を出すパトロンと考えたら理不尽なことも受け入れられるようになった。
僕は「誰のおかげで飯が食えているんだ」という言葉は嫌いだ。
そして、良好な心から信頼できる家族関係を作るなら言ってはならない言葉だと思う。
それができないなら、精神的なつながりをこっちに求めないでほしい。
家族を大切だと心から思える人は大切にしてほしい。
僕は手に入れられなかった人間だからそう思うのかもしれないけど。
僕は父親に関しては今すぐ金を残して死ね、としか思えないし
ボケたり、交通事故にあって介護が必要になったら即施設に入れたい。
葬式はしようとも思わないから、適当に焼いて無縁仏としてどこかで引き取ってほしい
他の家族についても、愛情や親しみみたいなものを持ちあわていない。
正直言って、自分は精神的に孤独なままである。
普通はいざというときは親類を頼るんだろうけど、僕の場合は本当に死ぬ以外の選択肢がない。
せめて、信頼できる友達がいればよかったナ。
依存する未来しかみえないけども。
いつものように思いつくままに書いたので、話が散らかってしまった。
いつか自分の精神の不安定さの原因になっている(父親のことも含む)家族関係のことについてまとめて書いてしまいたい。